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2023.11 北陸の旅【3日目・4日目】
今回は富山・石川を巡る3泊4日の旅の最終回。
3日目は悪天候により予定変更。金沢でたっぷりと歴史探訪する事に。
4日目は電車に揺られ帰るだけなので、簡単にまとめちゃいます。
ちょいと長く&尻すぼみになりますが悪しからず。
果たしてどんな珍道中になるのやら…。
【3日目】
11/24 3:00 起床
窓に打ち付ける雨音で目が覚めました。いつの間にか眠っていたようで、また変な時間に起きてしまいました。天気予報を見ると、今日の七尾市は荒天の模様。予定していた七尾城は所謂山城なので、天気が悪いとなると山道を歩くのは難儀そう。残念ですが予定を変更し、屋内の見学施設が充実している金沢まで向かう事にします。と、その前にもうひと眠り…。
11/24 8:00 起床
心地よい二度寝から目覚め、朝食を頂きに行きます。選べる品目は多くないものの、充分な内容で満足。腹も膨らんだところで身支度を整えチェックアウト。一路金沢駅を目指します。
11/24 9:20 七尾駅 着
11/24 9:58 七尾駅 発
昨日よりも幾分か寒く、駅のホームで列車を待っているとにわか雨も降り始め、既にベッドが恋しくなってきました。七尾駅のホームを散歩していると、こんなものが。
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説明を読むと、結構貴重な物のようです。が、何気なく屋外にポツンと設置されています。マニアには堪らない逸品?なのでしょうか。
少々遅延しましたが、金沢駅までの列車旅が始まります。
11/24 11:20 金沢駅 着
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数年振りの金沢です。以前来たときは20代前半の若造の時でしたので、あまり歴史関係に興味がない時期でした。今回はじっくりと歴史探訪していきます。いつ雨が降ってもおかしくない雰囲気ですが、節約のため徒歩で移動します。まず向かうは、やはり金沢城。
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何を思ったか駅から地図を見ないで行ってみようと逸り、案の定迷いながら辿り着きました。しかし、迷ったおかげで上の写真にある石垣の説明看板にも巡り合えたので結果オーライ。金沢城は築城からのちも整備を重ねていったため、それぞれの時代の特色を残した多種多様な石垣が見れるようです。私もまだまだ浅い知識しかないのですが、石垣に詳しくなればお城巡りも一層楽しくなるだろうなと思います。
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迷っているうちに辿り着いたのが鼠多門という所でした。この櫓と橋は明治時代に撤去・焼失したものを復元したもののようです。2020年に完成したとの事なので、結構最近ですね。内部は無料で見学できるようになっています。無料なので入ります。
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手前に映っている階段が当時の勾配を再現したものらしく、かなりの急勾配でした。昔のばあちゃんちみたいな階段でした。
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鼠多門からお城の敷地内に入ると、そこは玉泉院丸庭園と呼ばれる庭園でした。名前の由来は、(利家公を藩祖として)二代目藩主・前田利長公の正室である玉泉院さん(織田信長公の娘・永姫さん)からきているようです。この場所には元々玉泉院さんのお屋敷があり、彼女が亡くなり屋敷を撤去した頃から玉泉院丸と呼ばれるようになります。のち、三代目藩主・利常公の頃から庭園として整備されていったようです。
その後は雨に降られつつ散策。
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金沢城は日本100名城にも選ばれているお城なので100名城スタンプなるものがあります。石川門近くの総合案内所の窓口の方に伝えればスタンプを借りられます。専用のスタンプ帳も書店などで売っているのですが、私は生来のケチなので、自分の旅手帳に押します。
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100名城スタンプを借りたついでに、案内所の方に利家公の銅像のありかを尋ねます。どうやらふたつあるらしく、ひとつは石川門を出て紺屋坂を下りきった道路の向こう側にあるようです。もうひとつは尾山神社の境内にあるとの事。まずは近い前者に突撃です。
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言われたとおりに進んでいくと、遠目からも分かる金の鯰尾兜を被った銅像が見えてきました。ようやくお目にかかれて興奮!ここには載せていませんが、たくさん写真を撮りました。もうひとつの銅像は帰りに立ち寄ることにし、博物館へ向かいます。
11/24 12:50 石川県立歴史博物館 入館
当世具足や刀剣類、絵画や書状など、たくさんの展示品が並んでおり、いちいち足を止めてじっくりと眺めてしまいます。嬉しい事に撮影OKなものも多数あり、お言葉に甘えて撮らせて頂きました。中でも感動したのがこちら。
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利家公から上杉景勝公へ宛てた書状です。特に注目したいのが花押と呼ばれる、今でいうサイン(署名)のようなものです。人それぞれの形があり、これを見るだけでも結構楽しい。上の画像だと花押が逆さになってしまっているので、反転&拡大して見やすくしてみました。
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「利」の字はなんとなく分かりますね。「家」はどうすればこうなるのやら…といった感じ。しかし、なんかかっこいいですよね。いつか私も自分の花押作りたいものです。あと、古文書も読めるようになりたい。
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こちらは複製ですが、信長公から利家公へ宛てられた朱印状です。朱印はあの有名な「天下布武」です。複製とはいえ、目にできて嬉しい限りです。
続けて渡り廊下を進み、隣の加賀本多博物館に入場します。加賀藩に本多?と最初はよく分からない状態でしたが、なるほど。本多といえば平八郎忠勝さんが思い浮かびますが、加賀本多家は家康公の懐刀と呼ばれた本多正信さんの家系なんですね。正信さんといえば司馬遼太郎氏原作『関ヶ原』の実写ドラマで三國連太郎さんが演じてたんですけど、これがまた名演技!それ以来正信さん=三國さんのイメージになってしまいました。
少し話が逸れましたが、加賀本多家は初代当主が正信さんの次男・政重さんという方です。この記事を書いている少し前に、火坂雅志氏の『天地人』を読み終えたばかりでして、その中にもちらっと登場したのでタイムリーでした。政重さんは父と同じく徳川家に仕えていましたが、刃傷沙汰を起こして出奔。その後は大谷吉継公、宇喜多秀家公、福島正則公、前田利長公、直江兼続公の養子を経て、再度利長公に仕える、という経歴の持ち主。『天地人』では間諜(スパイ)的な役割を担っていたと解釈されており、さもありなんと思ってしまう経歴ですね。
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こちらは政重さんが大坂の陣の際に使用したといわれる馬標。馬標は戦場で自身の在所をアピールをするもの。目印みたいなものですね。
館内は撮影可・不可が半々といったところ。撮影不可でしたが、徳川家康公や直江兼続公の直筆と伝わる書状もありました。槍や当世具足は撮影OKでしたので思う存分撮影。
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上の写真の真ん中の槍と、下の写真の甲冑は、政重さんが関ヶ原合戦の際に使用していたものだそう。凄いですねー。
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こちらの甲冑は、利家公の股肱の臣・村井長頼さんが所有していたといわれるものです。尾張時代からずっと利家公に仕え、所謂笄斬りという刃傷沙汰を起こして出仕停止を食らった(つまり無職になった)利家公にも付いて行き、長篠合戦では敵に組み伏せられそうになっている(つまり絶体絶命の)利家公を救い、秀吉公への拝謁を巡る問答でも弁舌により(つまり論破されかけている)利家公を助け、利家公没後は人質として江戸へ下向する芳春院(まつ)さんに付き従うなどなど、至る所で主君・お家を支え、最後まで忠義を尽くした功臣です。立派な髭を蓄えていたらしく、髭殿と呼ばれていたんだそう。
とまあ、津本陽氏の『前田利家』を読んでから好きな人物でしたので、こうして甲冑を見れたのは感無量です。来て良かった。
加賀本多博物館、戦国時代好きの人にはおすすめです。入館料400円でこの充実っぷりは素晴らしい。クリアファイルも無料でもらえます(もらった)。
11/24 14:25 尾山神社 着
博物館から出ると雨は止んでいました。大満足の博物館巡りを終え、駅に向かう途中でもうひとつの利家公の銅像がある尾山神社へ。境内の脇に立派な騎馬武者像を発見。早速撮ろうとするも、カラスがとまっていて邪魔でした。なんて不遜なカラスだ!と憤慨するも、石を投げるわけにもいかず、去るのを待ちました。
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こんなものもありました。やはり利家公といえばこの兜が代名詞のようなものですね。兜だけというのも珍しい気がします。
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ようやく不遜なカラスが飛び去ったので騎馬武者を撮影。信長公直属のエリート集団を母衣衆と呼びました。母衣衆は赤と黒に分かれており、利家公は赤母衣衆の筆頭だったそうです。ちなみに、黒母衣衆には後々鎬を削る事になる佐々成政公がいました。
この銅像を含め、利家公の銅像はコンプリート!…と、思いきや、どうやら愛知県にもあるらしく、コンプリートとはなりませんでした。そちらはまたそのうち。
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11/24 14:58 金沢駅 着
さて、名残惜しいですがそろそろ帰路につく時間です。新幹線なんかを使えばもっと見ていられますが、なんたって私は鈍行おじさん。今日中には浜松辺りまで進んでおきたい。ここからはただひたすら、列車に揺られ続けます。
11/24 15:24 金沢駅 発
以前金沢へ来た時は、開通したての北陸新幹線に乗って(!)来ていたので、在来線を使って福井・敦賀方面に向かうのは初めて。福井には一乗谷城跡もあるし、また今度来てみたいですね。
11/24 17:00 福井駅 着
福井駅は初めて降ります。40分ほど時間があるので腹ごしらえ。立ち食いうどん屋できつねうどんを食します。
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ふにゃっふにゃの麺に辟易とします。麺のコシが強かったら噛むのに時間かかるから、あえてふにゃっふにゃにしてスピーディに食べられるようにしてるんじゃないかと邪推するくらいにふにゃっふにゃでした。ご馳走様でした。
11/24 17:46 福井駅 発
辺りも暗くなり景色が見えなくなってきました。移動時の楽しみは車窓からの景色に大きく依存するので、暗くなると手持ち無沙汰になります。本など読みつつ気を紛らわせます。
11/24 18:36 敦賀駅 着
11/24 18:49 敦賀駅 発
戦国時代の好きな人物、大谷刑部ゆかりの地・敦賀にやって来ました…が、暗くて見えるのはホテルの電光掲示板のみ。なんと切ない。敦賀もまたゆっくりと訪れたい場所です。
かつて、ほんの少しの間長浜市にも住んでいた事がありました。御多分に漏れずその頃は歴史関係に興味がなかったのですが、めちゃくちゃもったいない事したなぁと今では後悔しています。小谷城跡、賤ヶ岳、姉川…。戦国のど真ん中ですね。あの頃の自分の尻を叩いてやりたい気分です。この辺りも、またゆっくりと訪ねてみたい。
11/24 19:42 米原駅 着
11/24 20:05 米原駅 発
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ここからは東海道本線。私が最もお世話になり、そして最も嫌いな路線です。何が悪いって事はないんですが、長いんすよね、ここからが。昔、友達と広島から鈍行のみで沼津まで行ったことがあったんですが、東海道本線にはコテンパンにやっつけられました。というか、静岡ですよ。浜松で「ようやく静岡はいったな~」からの「あれ、まだ静岡?いつまで静岡?」は誰でも味わう感覚だと思います。今回は賢く、静岡の西端である浜松まで進み、休息を取ってから東海道本線と勝負です。通しで乗るもんじゃありません。
11/24 22:11 豊橋駅 着
11/24 22:22 豊橋駅 発
もうこの時点で結構お見舞いされています。金沢駅から約7時間。鈍行大好きとはいえ、やはり疲れの色は濃くなっています。
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11/24 22:55 浜松駅 着
長い長い戦いを乗り越えました。ここで事件発生。福井駅からICカードで乗車してきましたが、改札から弾かれます。仕方なく改札窓口に行って精算してもらうことに。まぁ、冷静に考えて福井から鈍行で来る人なんていないのでしょう。飲み屋のねえちゃんの勧誘をあしらい、駅前の牛丼屋で飯を食べ、腹を満たします。
11/24 23:14 快活CLUB浜松南口駅前店 入店
こちらの店舗は完全個室なし、昔ながらの快活CLUB。おっさんのいびきを子守歌に、微睡みます。金沢を15時に出発して約9時間。これが後の世にいう「鈍行大返し」の顛末であります。
一泉
明細(3日目)
交通費
7,740円 (移動距離 431.3km)
宿泊費
2,200円
食費
アイスココア 110円
チョコ 143円
お茶 108円
きつねうどん 450円
チョコ 156円
牛丼 400円
雑費
石川県立歴史博物館 入館料 1,300円(特別展込)
加賀本多博物館 入館料 400円
お賽銭 10円
【4日目】
11/25 4:30 起床
おっさんのいびきをアラームに起床します。今日はもう家に帰るだけなのでこんなに早く起きなくてもいいのですが、早く家で寝たいという気持ちが勝った結果が4時半起床です。身支度整えて出発。
11/25 5:10 浜松駅 着
11/25 5:35 浜松駅 発
駅のホームでおにぎりを食べながら列車を待っていると、不意に視界のなかに人の姿が。見上げると、絵にかいたような酔っ払いがこちらを見つめハイタッチの準備をしていました。
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酔っ払い「うぇい兄ちゃん」
ぼく「っす(会釈)」
酔っ払い「〇、l;じb7▲#(T$EUぽcks;」
ぼく「っす(逃亡)」
その後駅員と話しているのを聞き耳立てていると、どうやら彼が乗るべき列車は反対側のホーム。分かったのか分かってないのか、私が出発するときまでホームのベンチでごろ寝していました。リアルスーダラ節おじさんですね。彼は無事、帰れたのでしょうか。
11/25 8:02 沼津駅 着
11/25 8:29 沼津駅 発
ようやく沼津の地を踏みました。ここは以前、近所に住んでいた事があるので、いわば勝手知ったるホームのようなものです。何故か懐かしさは感じませんでした。過去の経験同様、やはり沼津に着いた頃には疲れ果てています。さすが東海道本線、恐るべし。
11/25 9:14 小田原駅 着
またもや改札で弾かれました。浜松くらいからなら鈍行で来る人いるでしょう。…いないのでしょうか。またも改札窓口で清算です。小田原城は昔行ったことがありますが、ざっと見ただけなので、またじっくりと見てみたい。といっても気軽に来れる距離なので、近いうちに突撃しよう。
一泉
明細(4日目)
交通費
3,842円 (移動距離 213.1km)
食費
おにぎり 180円
おにぎり 150円
お茶 100円
あげどり 240円
旅の記録
総移動距離 1,157.2km
交通費 21,796円
宿泊費 11,220円
食費 6,403円
雑費 4,480円
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