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学びの個別最適化が本当に最適なのか?という話

先日のGIGAスクール構想に関する投稿で、個別最適化について触れました。

見てのとおり、個人個人にあった学びを実現しようよ、という事です。GIGAスクール構想の目的のひとつでもあります。今日はこれについて考えてみます。

日本型一斉授業への風穴として

私が小学生だったころに比べて、子どもそれぞれの特性や事情がクローズアップされるようになりました。文字が読みにくいとか、字を書くのが苦手だとか。

その子たちに「でもこれが全体のペースですから、頑張ってなんとか対応してください」というのはよろしくないわけです。(私のクラスにもいたんだろうなぁ…元気にしてるかな。。)

まず、それは楽しくないですよね。本人も楽しくないし一緒に学んでる子たちも楽しくない。学びは安心できる場でこそ促進されます。学ぶ場には”楽しい”と思ってる人が多い方が良いのです。先生含め。

そんなフワッとした理由では納得しない、という層のためにこんな方向も。
この先日本は人口が減ります。するとGDPが下がる。どこかで人材の能力を発揮させて全体の生産性を上げる必要があるんです。そこで子ども達の能力を開花させない手はありません。いろいろなタイプの子ども達にそれぞれ活躍してもらって、生産性を上げられる社会にしたほうが国としても嬉しいでしょう。

この辺のことは以下の本に詳しいので、興味のある方は参考にどうぞ。ちなみに私個人としては後者の理由は「そういう側面もあるね」という程度で、前者の方が重要だと思ってます。

そんな流れで、従来の講義型・一斉授業を何とかしたほうがいい、という気運がある訳です。ICTを使って、ひとりひとりに合った学びを!この基本的姿勢には私も賛成です。


「個別最適化とは距離をとっています」

一方で。この前とある私立小学校のオンライン説明会に参加しました。いま日本で注目を集めている新進気鋭の学校です。そこの先生が印象的なことをおっしゃっていました。

「うちの学校は、いわゆる個別最適化と距離をとっています。仲間から学ぶことも大切にしている」

この一言にハッとしました。個別最適化をやりすぎると「はい、あなたはアナタの学びをして。他のことは気にせず!」となるリスクもあるのかと。なるほどなるほど、ありえる…。

日本は「具体的事象の消費には熱心だが、抽象的概念は決して理解しない社会(From『いまだ人間を幸福にしない日本というシステム』)ですからね。個別最適化ー!と走って学びあいを捨てる可能性はあります。

先ほども書いたように、良い学びに必要なのは安心できる場です。またそもそも、子どもは仲間から影響されて育つものです。いや大人も同じかな。自分やわが子以外の仲間も良く育つから自分も育つわけで、良い育ちを期待するなら周りの人も一緒に学べるようにしたほうが近道です。このあたりの考えはこちらに詳しいのでどうぞ。

個別の学び×学びあい

そんなわけで、私としては両方のバランスが必要だろうと考えています。 個人で学んであれこれ知ることと、それをシェアし合って高めていくことと。

こちらの投稿に書いたように、今年の春から教育系のプロボノとして動いていまして、そこではまさにそのようなことが起きていました。

私一人では知ってることも入ってくる情報も偏っているのですが、教育に興味のある人が数人集まったら、驚くほど短時間に大きく思考が育ちました。とっても楽しかったです。本当に久しぶりに、楽しい!という感覚で動いていました。

子ども達の学びにもそういう感覚があって欲しいなと思います。

具体的には、どうしたらいいんでしょうね。やっぱりまずは一斉授業への風穴からなのかな。「私立と違っていろんな子供がいる中で、そんな複雑な事できない」のでしょうか。いろんな子がいるからこそ、学びあいによって面白いことが起きると思うんだけどなぁ。こんなのは外側からの無責任な期待なのかしら。

公立小学校のように、どんな子でも一緒にやれるバランスのいい学び。どんなものだと思いますか?私もまだまだ考えていきます。



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