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問題だらけのわたし

「わたしって、何て問題だらけなのかしら」と思うのです。

いや、ここまで何だか偉そうに・詳しそうに『これからの教育はー』とか言ってきたのに急にどうしたのって感じなのですけど。

なんでこんなに教育が気になるんだ?とか、なんで心理学やりたいんだ?母子支援したいんだ?とかを掘っていくと「私が問題だらけだからです」に行きつくような気がしています。少なくとも「我が子を立派に育てたい!」ではない、と思う。

いまざっと思いつく『私の問題』を挙げてみましょうか…。
・基本的に怠け者でやってるフリが上手いだけ
・自分の枠が強くて人にも押し付けがち
・白黒はっきりつけすぎで一気に「はいダメ」となりがち
・自分のことを酷いと思ってるので人から褒められても受け付けない

…まだあるんですけどこれ以上やってもダークになるだけなのでやめときます。まぁ、たった4つでもこんな感じです。

これを私の知人が見たら「いやいやいや、おにちゃん。そんなことないよ?」と言ってくれると思います。そんな優しい知人たちに、もう今ここでお返事します(言われてもないのに)

「ありがとう。そう見えるでしょ?上手く擬態してるのよ」

さて。困っています。
そうなんです、困っています。
わたしってば問題だらけだ。

問題があると何とかしたくなるたちなので、心理に詳しい人などに相談してみました。すると大体「自分を認めましょう」「今日できたことを書き出してみましょう」と言われます。ですよね…それ10年前にも言われました…やっぱりそこですよね…。うーん。そう、いま私が思うべきなのは「私って問題だらけ」ではなく「私って結構やれてる」らしいのです。

相談相手さんは「何でもいいのよ。あさ洗濯干すのだって充分やれたことじゃないですか」と言ってくれます。確かに。もし私が知人から同じ相談されたとしたら「もうあなた、起きて準備してここに居るだけでも素晴らしいよ」と私も言うと思います。でもねー、自分には思えない。「だって洗濯しないと生活困るじゃないですか。やらなきゃいけないからやるだけですよ」ってなる。

完璧主義?自分への期待値が高い??いや、怠けてばっかりだし…。完璧主義ってほど自分のこと追い詰めてないし…。

中でも困ってるのは、人からの評価を受け取れないところです。

「すごいね」「ありがとう、助かった」などなど。全部受け取れない。それどころか、「いえ、大したことじゃないんで」「〇〇は出来なかったので」などなど、しまいには「この人は優しいから嘘ついてくれてるんだなぁ」的な発想まで湧く。ひどーい!せっかく褒めてくれてるのにー。なんて歪んでいるんだー(こうしてまた新たな問題が発生)

これは、何とかしたい。何とかしないとマズい。
なんでまずいかって、私の母もこのタイプだったからです。

褒められたくて認められたくて仕方なかった母は、私を含む娘たちに「褒めて~!」光線をビシバシ出しました。素直なお嬢さんだった娘たちはそれぞれに応えようとしましたが、母はそれを全く受け取らず延々と「褒めて~!」を繰り返す。娘たちはそれぞれ仕事や家庭に忙しくなり「もう母だけには構えない」と離れて行ってしまいました。ちなみに私たち姉妹の中で母は『姫』と呼ばれています。みんなで頑張って母を姫様扱いしたけどダメでした。あ、存命です。

(蛇足ですが…母がなんでそうなったのかは思い当たることがあります。本人だけでなく社会的な課題もあったと思います。母もさまざまな面から助けられるべき人だったのに救いの手が足りなくて・届かなくて、大変な想いをしたのだろうなと捉えています)

このままでは私も母姫コースまっしぐらだ!いやだ!あれは自分も周りも相当キツイ!自分はともかく、人にあの苦労をさせるのは本当に嫌だ!!

…と思っていろいろ頑張る。
すると自分へのダメ出しが溜まる。「まだまだだ!もっとだ!」
そして私は問題だらけになる。
事態が改善してなーい!笑

今日のnoteはここまでです。オチも何もありません。
「わたしって問題だらけなんです、自分をそう捉えてるんです」って広く言いたくて徒然と書いただけです。

この問題だらけのわたし、欠陥だらけの車、どこにどう向かって行くんですかね?良くなっていくんですかね?オーナーの私も全然分かりません。でもあの苦労を身近な人にさせないように、何とかしたいと思ってます。それは周りの人への優しさというより、若かりし日の自分の努力を労いたい感覚に近いのかなと思います。




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