Bon yarI
どうも。オンナノコです。
ここ最近、カキモノを始めました。
というのもやっぱり文才はなくても
物語は書きたいという気持ちがあるからなのです。だからまったくもって拙い文章でも書きたいのです。書いて書いて。また書きたいのです。
【背中が痒くなくても初めて孫の手を見て使わせてもらった感覚に似ている】
夏休み。祖父母の家に行って、扇風機が回る中「よく来てくれたね」という言葉が飛んでそれから家の中を散策する。そこで祖父が使うまでは目に入らなかった【孫の手】という道具を
祖父が何の気無しに使う。
「それは何?」と聞くと。
「孫の手だよ」と言う。
そう言われて自分の手を眺めて青ざめる孫。
などと気の利いた冗談めかしなシーンはなく。
「使ってみたい」と言い、使う。
痒いところに手が届くというのはこういうことかと世の中の薄い理を理解する。それ以降この孫の手を見ると背中を掻く物だと理解しているのでそういう道具だという目線で見る。
カキモノも書いたことない時は
「こんな物書けない」
「どうすれば書ける?」
「こんな文字数無理だろ」
「アベベー」
などと色んな感情が走り回るが書いてみると意外と良いものだと気づく。
影と同じで文才も走っていたら後から自然とついてくるかもしれない。あまり意識してないとついてきてるかどうか分からないけどきっとついてきていると期待はしている。そのためには光の方に向かって走らねばならない。
「太陽に向かって吼えろ」
などと昔のドラマで言ってそうだ。
今のドラマではそんな熱い展開はない。
熱くてはダメなんだ。今はぬるいぐらいがちょうど良いんだ。人間関係は冷たいくらいの距離感がいいのだ。
【それはインターネットがそうさせたのか?】
いや、どうなのだろう。そんなこともないだろうと思う。楽しくネットサーフィンしている人もいるから一概にそうとは言えない。
ただ、ネットの波は読みづらいので荒波の時もある。それを乗りこなすのは大変そうだ。私は海岸から眺めているほうが好きなタイプだ。ゆっくりビーチパラソルの下でサーフィンを拝見させてもらおう。
という具合で。中身のことをダラダラ書くのがタイトルどおり私の【ぼんやり】である。
書くこともまた息抜きである。
うーん深いねぇ。夜も更けますねー。へへー。
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