見出し画像

UmibE

私は海を眺めている。特にこれといって眺める理由はない。この寄せては返す波を眺めているとこれは等間隔に動いていてメトロノームと同じようにリズムを刻めるのかもしれないなどと考えながらこの海の近くの喫茶店のカウンター席で大きめのアイスコーヒーを飲んでいる。大きめと言ったが“大きめ”という表現の内に収まらないほどに大きめだ。
じゃあもうデカいでよくない?という声も聞こえてはくるが大きめという言葉が私のサイズを表現するワードとして今一番キテいるのだ。

「どうですか?今日の紅茶は?」とここのマスターに聞かれた。紅茶ではない。コーヒーだ。絶対に。コーヒーを頼んだしコーヒーの味だ。
「ここのコーヒーは美味しいです」とコーヒーを強調して私が返すとマスターは微笑んだ。
「今日の紅茶は葉がいいからね。芳醇でしょ」と返ってきた。困ったな会話ができない。これではキャッチボールどころか、球のぶつけ合いだ。ただお互いに言いたいことをぶつけあって顔がパンパンに腫れていく。埒が開かない。

「美味しいです。紅茶」と言葉を置いた。譲ったのだ。なんと心の広きことだろう。私は今、後光がさしているだろう。

「コーヒーですけどね」とマスターが言った。

もう嫌かもしれない。ここのお店いいなと一ミリでも思った私の感情を取りこぼしなく鞄に詰めて今すぐ帰りたい。私は早々と店を出た。
外に出ると日差しが暑い。スポットライトとしては強すぎる。何故こんなにも日がさすのだろう。後光だけで充分である。
海の近くに行くと塩の香りがした。波の音も聞こえる。海水浴を楽しむ人たちもいる。楽しそうだ。

「楽しそうですね」

と突然隣に現れたサングラスに髭がちょろちょろ生えているおじさんに話しかけられたが一旦無視した。

「ほら、この光景楽しそうじゃないですか?」

としっかり会話の球を放ってきた。私は優しいのでその球を拾う。

「楽しそうですね。たしかに」と愛想笑いで返す。
「この髭ですか?」

と気づきましたかというような顔をこちらに向けるおじさん。まったく意識はしていないし、こちらのおじさんも先ほどのマスター同様キャッチボールができないようだ。

「この髭はね。ごま塩おにぎりになりたいからなんですよ」

「はい?」

と間髪入れずに聞き返してしまった。キャッチボールどころではない変化球だった。

「ごま塩おにぎりです。私はそれになりたいんですよね。今日の私はどうですか?ごま塩おにぎりですかね?」
と楽しそうに聞いてくる。このごま塩さんは楽しいかもしれないが私はまるで楽しくない。というかごま塩おにぎりになりたい人ってなんなんだろう。
「なぜ、ごま塩になりたいんですか?」と直球で聞いてみた。
「なんか味が良くて。ああいう味になりたいんです」と返された。







「え、味なのか?髭から寄せていったらほぼ見た目重視じゃないのか?え?どうなんだ?え?え?」と心の中でバタバタと小さな私が暴れた。


「私ね。ごま塩おにぎりになったら次はイルカを縦笛みたいに吹いてみたいんですよね」と言いながらごま塩さんは遠くを見た。

私はそれよりも遠くを見た。もうよく分からなかった。だから遠く見た。何があるわけでもないのに。例えこのごま塩さんとの会話のマニュアルがあっても意味が分からないだろう。

「今日はお弁当を持ってきたんですよ。偉いでしょ。自炊ですよ。私、男の一人暮らしなんですよ。それで出かけた先でお弁当なんてしっかりしてると思いませんか?」とお弁当を見せてとも言っていないのにカバンをごそごそ漁り出した。
「あ、これです」と言い、バックから出して見せられたのは一個の小さな10円ガムでした。

私はそれに関して「あー」と言った。
私は「あー」と言った。今まで会話で「あー」と使ってこない人生だったがここが、このタイミングの「あー」が一番「あー」として輝ける場所だろうと言えるくらい「あー」がしっくりきた。会話のテトリスがあるなら今の「あー」で全消しだろう。

「私ね、前世はごま塩おにぎりだったと思うんですよ」とごま塩さんが言う。
なりたかったと言ってたのになっていたという矛盾を前世という過去形を使って表現してきた。この変化球はキャッチできないというか、もうこの人と会話をしたくない。

「ではすいません。私は友達に呼ばれたので行きますね」と適当なことを言って私はその場を離れようとしたが
「私もその友達と友達になりたいなぁ。いいですか?」と引き止められた。意味がわからない。

「あ、もう怖いので。来ないでください」

とはっきりと断った。私ははっきり言える子なのです。その場の空気ははっきり言う時は読みません。もし、私が桃太郎だったら最初に犬にでくわした時に「あなたよりも強い動物がいるかもしれないから一旦厳選してからくるね」ときび団子を無駄遣いせず空気も読まずはっきりと犬のお願いを断っていただろう。それくらい私ははっきりと言う。

「大丈夫ですか?怖いなら私が守りますよ。こう見えて私サングラスしてるんですよ」と返ってきた。

このごま塩さんはとことん会話ができないらしい。それにサングラスに全信頼を置いているらしい。意外とサングラスって強度はないからその全信頼の重さで折れてしまう可能性もあるだろう。とにかくサングラスで強気になっている気がする。

「ところで何が怖いんですか?資産がなくなることですか?」とごま塩さんが言う。

私はそんな内情的な怖さの話は一切していない。なんなら資産とか貯金とかそういうものとは縁遠いほうだ。

「お前だよ。お前が怖いんだよ」と言ってやった。
空気がピリつくのが分かる。このあとの反応次第では逃げ出さないとならないので身体の向きと足の重心を変えた。

「海って綺麗ですよね」

とごま塩さんとは反対方向から声がした。見るとガタイがいい赤いタンクトップのスキンヘッドの男がいた。脇からは枝ような脇毛が生えている。また怖いので一旦無視した。

「僕と踊りませんか?」とタンクトップが言う。
「いえ、結構です」と冷たく返す。

「僕のこの脇毛長くて硬そうでしょ。僕ね、ゴボウになりたいんですよ。この脇毛がゴボウになったら目的達成。大往生です」と言ってニカっと笑った。前歯が全部金歯になっていた。
ゴボウになりたいもパンチが強いが、前歯が全部金歯になっているのが珍しすぎる。前歯が全部金歯ってなんだ。金歯は自分で選択しないと金歯にならないだろうし、全部金歯ということは本当の前歯はなくなってそこに金歯の入れ歯を入れたということなのだろう。珍しすぎる。

「この前歯ですか?」とごま塩が言う。

何故、ごま塩がいうのだろう。この流れ的にゴボウさんが言うのならまだしもごま塩、お前は本当になんなんだ。

「この前歯気になりますか?これは入れ歯ではないです。金箔です。私、毎日歯磨きしたあとに金箔を被せるんですよ。えへへ。ゴボウみたいでしょ」とゴボウさんははにかんでいる。

なんではにかんでいるのかも分からないし、金箔とゴボウはイコールにならない。私に知識がないだけかもしれないし、よく分からないんだけどそれでもたしかなことは私はもうここにはいたくなかった。

人生には“モテ期”というものが存在するらしいが今がその“モテ期”というやつならこのモテる時代はすぐに終わって欲しい。早く隕石が落ちてきて、私のモテ期を粉々に砕いて氷河期に変えて欲しい。

「そうだ。みんなでキャンプ行きましょうよ」とごま塩が言う。
「いいですね。行きますか」とゴボウさんが言う。まるで昔からの友達のように。
「あ、はじめましてでしたね。私はゴボウになりたいんです」とゴボウさん。
「あ、私はごま塩おにぎりを目指してまして」とごま塩。
「ごま塩おにぎり。いいですね。それでそんな喋り方を?」とゴボウさん。
「ゴボウですか。いいですね。それでそんな歩き方を?」とごま塩。

私は遠くに走っていた。気づいたらあの2人の間に挟まれていた空間は遠くに見えるほど遠くに走っていた。あの次元が歪んだような空間は嫌だった。
元々私はよくナンパされる。それも誰もされたことのないナンパをよくされる。昨日は大きな木材を両脇に抱えた男に
「僕と一緒に家を建てませんか?」と言われた。
ある時は洗濯バサミを鼻に挟んでいる男に
「一緒に息を止めませんか?」と言われたこともある。
もう嫌だった。嫌で嫌だった。私はとにかく走った。

次の日。私は天体望遠鏡のある場所にいた。星のことがよく見える天体望遠鏡。そこに星に詳しい人がいた。

「昼間は何も見えないけど、この空にたくさんの星があるのはロマンがありますよね」と優しく微笑むこの男性に私は飛びかかるように聞いた。
「私は変なナンパをされる星まわりなのでしょうか?」と。
「ほう。では見てみましょうか」とすんなり私の言葉を受け止めてくれた。

私は大きな大きなペットボトルロケットに縛られている。
「これを打ち上げてある程度の距離にいったときにこの天体望遠鏡であなたの星まわりを見ますね」と男性は優しく言った。
こんな状況で私は何故か安心していた。でも、こんなことで私の星まわりなんてみれるわけないよな、この案件は占い師に頼むべきだったなと思いが芽吹いた時には私は遥か高い空の上にペットボトルロケットと一緒にいた。
「あー着地どうするんだろう」という思いも一緒に芽吹いたがその考えはどうすることもできないので流れ星のようにそのまま捨てた。

「見えましたー!」

と男性の声がかなり離れているのに肉声で届く。あの男性かなり声がデカいんだな。

「今日のファッション素敵ですねー!」

そういう見えましたなのか?ピントが合ってやっと見えました的な?あの人はかなり目が悪くてこの天体望遠鏡で見ないと目のピントが合わないのか?そういうこと?いや、どういうこと?などと考えが巡っているときに落下していった。走馬灯が駆け巡る。

「私と一緒に家を建てませんか?」
「一緒に息を止めませんか?」
「この髭はね、ごま塩おにぎりになりたいからなんですよ」
「僕のこの脇毛長くて硬そうでしょ。僕ね、ゴボウになりたいんですよ」

嫌な走馬灯だった。これが私の人生として彩られるのなら本当に嫌だった。悪寒だ。呼んで字のごとく悪寒だった。絶対生きてやるという思いの力で私はペットボトルロケットから脱出して考えられないくらい正確に受け身をとって無傷で生還した。

「わーすごい。助けに行かなくて見てるばかりですいませんね」と天体望遠鏡の男性は言った。
私は綺麗に中指を立てた。一回も立てたことのない中指はそれはそれは綺麗な立ち方だった。


今日、私は映画館で映画を観ている。ラブコメというジャンルの映画だ。映画はいい。普通に会話して、普通に恋愛していく。こんなに普通の男性がたくさんいる世界なのに何故私が遭遇する男性は希少種ばかりなのだろう。本当に私もこういう恋愛がしてみたい。奥手なのも悪い。私がどんどん話しかければいい話なのだが。はぁー。とため息つく。映画は面白かった。劇場を出て、駅へ向かう。その道中。

「ハンカチ落としましたよ」と後ろから声をかけられた。振り返ると爽やかな顔を男性がそこにいた。あ、これはこれはやっとかもしれないと心躍った。どうかは覚えていないが実際に踊っていたかもしれない。それくらい踊った。

「ハンカチあなたのですよね?」と言ってこの男性が広げているものは大きな大きなレジャーシートだった。私はこのサイズのレジャーシートをポケットにはしまえないし、これをハンカチだと言っているのは考え深い。ここから先に進んでいいのだろうか。私が踏みとどまっているところを遠くの遠くの天体望遠鏡であの男性が見ていた。

「それはハンカチではない。レジャーシートだ!見えたぞ!見えたぞー!!」

相変わらず声がデカい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?