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【リー・スティーブンス】MLBドラフト1巡目の期待の新人は若い頃に出場機会を求めて日本へ武者修行にやって来ると主力選手が育っていた近鉄バファローズで長距離砲として貢献 帰国後レギュラーになった助っ人

おはようございます。
日本で戦うために、海を渡ってきた
愛すべき助っ人たち。

今回は、リー・スティーブンスを
取り上げていきます。

https://www.youtube.com/watch?v=slZeKO2cii4&t=30s

1967年、アメリカ合衆国ミズーリ州に
生まれたリー・スティーブンスは
ローレンス高等学校を卒業した
1986年、MLBドラフト1巡目で
カリフォルニア・エンゼルスに指名されて
入団しました。

1990年にメジャー昇格を果たしたものの、
すぐにマイナー落ちした
左投左打(ひだりなげひだりうち)の一塁手は
少しずつ力をつけてきた1992年、
106試合に出場するなど期待の新人となります。

翌1993年、日本では仰木監督の勇退を受け、
往年の300勝投手、鈴木監督が誕生した
近鉄バファローズは野茂や吉井といった
主力選手が育っていましたが
新しい指揮官との間に亀裂が走り、
Bクラスに低迷していました。

その雪辱を図るべく、シーズンオフに
チームの若返りを掲げた球団は
ベテラン金村(カネムラ)に変えて
中村をサードのレギュラーに置き、
ラルフ・ブライアントとクリーンナップを打てる
フレッシュな助っ人を探していたのです。

メジャーの実績はまだ不十分ながら
身長192センチ、体重99キロと恵まれた体格で
パワフルな打撃を見せていた巨漢に
目をつけて交渉を開始すると
出場機会に飢えていた若きスラッガーは
海を渡って来たのでした。

スチーブンスの名で登録されたノビシロの
ある助っ人は
その大人しい性格から、闘将、鈴木監督に
闘志不足と判断され、6月まで干され気味でしたが、
夏場になると本領発揮、不動の4番石井や
ブライアントとともに打ちまくり、リーグ1位の
チーム本塁打169本に701得点を記録します。

翌1995年は開幕13試合で10本塁打と大爆発し
10号到達の最速記録をマークしたほか、
リーグ最多29本の二塁打も放ちましたが
2割4分6厘の低打率から同年限りで
解雇となりました。

実際にはシーズン途中にレンジャースから
誘いがあったとも報道されましたが
1996年にメジャー復帰すると
翌年から2001年まで5年連続で20本塁打以上を
放ち、DH兼一塁手としてレギュラーを
張ったのです。

日本の投手によるストライクとボールの
出し入れに苦しみ、2年間ともに
安定した成績を残せなかったものの
球史に残る長距離砲として持ち味の
長打力を見せてくれた助っ人は
日本で経験したものをアメリカに
持ち帰り、メジャーの中軸も任された
背番号33、リー・スティーブンス

いかがでしたでしょうか?
これからも海を渡り、日本に衝撃を
与えてくれた最強の助っ人たちを
ご紹介していきますので
是非ご登録よろしくお願いいたします。
ご視聴ありがとうございました

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