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【マイケル・クロッタ】アメリカで芽が出なかった長身右腕は北海道にやって来るとセットアップマンにクローザーとフル回転で日本ハムのブルペンを助けたツーシーマー

割引あり

おはようございます。
日本で戦うために、海を渡ってきた
愛すべき助っ人たち。

今回は、マイケル・クロッタを
取り上げていきます。

https://www.youtube.com/watch?v=L2OLv4S0HlI

1984年、アメリカ合衆国フロリダ州に
生まれた本名マイケル・ジョン・クロッタは
マーティン・カウンティ高校卒業後、
MLBドラフト47巡目で
フィラデルフィア・フィリーズから指名を
受けましたが、これを拒否、
フロリダ・アトランティック大学に進学します。

改めて2006年のMLBドラフト17巡目で
ピッツバーグ・パイレーツから指名を受けて
プロ入りした右腕は2010年、
3Aの招待選手としてキャンプに参加していた
ジェレミー・パウエルやチームメイトになった
岩村明憲から日本野球について話しを聞き
興味を持ちました。

「チームに日本でプレイした経験のある選手が
8人くらいいて、彼らと話をしているうちに
NPBを意識するようになったんだ。
特に近鉄や読売にいた
ジェレミー・パウエルのアドバイスは
参考になったね。日本では単独行動を取らず、
団体行動を心がけていれば
変な目で見られることはないと
教えてもらったんだ。逆に通用しなかった選手は
食べ物や移動手段、ホテルに対して
文句ばかり言ってたってね」と語っています。

2011年、念願のメジャーデビューを飾り
15試合に登板しましたが防御率は9点台と
先発ローテーション定着とはならなかった
クロッタはベネズエラのウィンターリーグや
マイナーリーグを転々としていた2012年、
肘の手術に踏み切った事から
パイレーツを放出されると中継ぎ投手に転身、
ワシントン・ナショナルズの3Aに移籍しました。

2013年、シラキュース・チーフスで
チームトップの51試合に登板、
6勝7敗4セーブ、防御率3.57の成績を挙げると
58イニング投げて被本塁打はゼロ、
速球の割合は10パーセントに満たず
沈むツーシームとスライダーを低めに集めて
打たせて取るタイプの技巧派に
白羽の矢を立てた
北海道日本ハムファイターズが
年俸5千万円の1年契約を持ちかけた事から
身長198センチ、体重106キロの助っ人は
海を渡ってきたのです。

2014年、日本でプレーできることを
喜んだ背番号20は春季キャンプ前に
北海道で自主トレを開始、
札幌ドーム敷地内にある球団事務所を
訪れて職員らに挨拶をした後、
グラウンドやロッカー室などを入念に
視察すると、ベリーナイスを連発して
モチベーションは最高潮となりました。

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