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ナスティーボーイズの一員としてシンシナティ・レッズの世界一奪還に貢献した速球派救援トリオの一人は引退後イチローを挑発して敗北し全裸でニューヨークの街を走ることになったお騒がせ投手 ロブ・ディブル

割引あり

おはようございます。
今日、取り上げるのは
シンシナティ・レッズ速球派救援トリオ、
ナスティー・ボーイズの一員として
その名を轟かせたロブ・ディブルです。

https://www.youtube.com/watch?v=WAeaUSrUDtQ&t=9s

1964年、アメリカ合衆国コネチカット州に
生まれた本名ロバート・キース・ディブルは
1983年のドラフト1巡目で
シンシナティ・レッズから指名されるほど
期待された投手でしたが
メジャー昇格まで5年を要しました。

ようやく芽が出てきた1988年、
メジャーデビューを果たすと、
持ち前の剛速球ですぐにセットアップマン
としての地位を確立、59回を投げて59奪三振
を記録します。

翌1989年7月4日、アメリカ独立記念日には
メジャー史上22人目の1イニング三者3球三振
を達成するなど、74試合に登板して10勝5敗2セーブ、
防御率2.09に、奪三振率は12.82という
剛腕ぶりを見せつけました。

1990年、通算347セーブをあげた
生粋のクローザー、ランディ・マイヤーズと
のちにマリナーズで佐々木と勝利の方程式を
形成する事になるノーム・チャールトンと共に
ナスティー・ボーイズを組閣すると
98回を投げて136奪三振に自己最高の
防御率1.74を記録、オールスターゲーム出場も
果たします。

荒々しいプレースタイルから
そう呼ばれていた強力リリーフ陣は
チームを地区優勝に導くと
オークランド・アスレチックスとの
ワールドシリーズ第2戦で、ロブ・ディブル自身
勝利投手になるなど、4連勝と圧倒的な強さで
世界の頂点に立ちました。

翌1991年はマイヤーズに代わって
クローザーに抜擢されると31セーブを挙げ、
2年連続でオールスターゲーム出場を勝ち取りましたが
失点した事に腹を立ててマウンドから
ウイニングボールを外野席に投げ込み
観客にケガをさせたり、
打者のインコースを執拗に攻めて乱闘騒ぎを起こすなど
気性の荒さは折り紙付きだったのです。

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