見出し画像

【ジョー・ペピトーン】貧民街の片隅で激しい虐待を受けて育った非行少年は天が与えた野球センスだけで名門チームの主軸を張るも素行の悪さから日米両国で出入り禁止となった伝説の不良助っ人

割引あり

おはようございます。
日本にやってきた
お騒がせ助っ人たちの真相に
迫る番外編、今回は
ジョー・ペピトーンを取り上げていきます。

https://www.youtube.com/watch?v=T9otXD7kblM

1940年、イタリア系アメリカ人として
ニューヨーク市ブルックリンに
生まれた本名ジョセフ・ペピトーンは
貧民街の片隅で伯母夫婦に育てられたのち
親元に戻されると
父親から激しい虐待を受けていました。

9歳の頃から叔父に野球の才能を見込まれ
コーチングを受けるも
その指導は殴る蹴るという
凄まじいスパルタ教育だった事から
視察に来ていたスカウトに止められる程でしたが
成長して非行に走り始めたペピトーンは
その叔父を灰皿で殴りつけ
半殺しにしたそうです。

高校生になる頃には毎晩喧嘩に明け暮れ
敵対するグループに銃撃されて瀕死の重傷を負うほど
荒れた生活を送っていた札付きのワルは
それでも天が与えた野球センスだけはズバ抜けており
地元ニューヨーク・ヤンキースから
オファーを受けた1962年
名門チームの一員となりました。

当時はまだ御法度だった長髪をなびかせた
ゴールデンルーキーは
2万5千ドルの契約金を全て使ってフォードの高級車
サンダーバードを買い、シャークスキン柄のスーツで
キャンプ地に現れると、夜な夜な女性ファンを部屋に
連れ込んでは遊び呆けていましたが
本職のほうは天性のホームランバッターとして
めきめきと頭角を現したのです。

酒とギャンブルをこよなく愛し、乱闘になれば
真っ先に飛び出していく地元生まれの
破天荒な若者に
お祭り好きのニューヨーカーはすぐに熱狂、
ミッキー・マントルの後継者として期待すると
入団2年目にはファーストのレギュラーに
定着しました。

非凡な才能ですぐにクリーンアップを
任されるようになり
打率2割7分1厘、27本塁打、89打点の活躍で
オールスターに選出されましたが
進出したドジャースとのワールドシリーズで
歴史に残る大失態を演じます。

同点の7回、一塁を守っていたペピトーンは
後に日本でプレーする二塁手
クリート・ボイヤーの送球を取り損なうと
三塁まで進塁させてしまったランナーを
同じく日本にやって来たウィリー・デービスの
犠牲フライで生還させ、敗退の要因となりました。

ここから先は

3,248字

この記事が参加している募集

よろしければサポートお願いします! いただいたサポートはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!