見出し画像

【メルビン・ニエベス】プエルトリコの野球一家に生まれた両打ちは福岡の地にやって来るとその怪力でチームの優勝に貢献 確実性にやや欠けるものの開幕4番も張った助っ人は20世紀最後の打者となった

おはようございます。
日本で戦うために、海を渡ってきた
愛すべき助っ人たち。

今回は、メルビン・ニエベスを
取り上げていきます。

https://www.youtube.com/watch?v=xCEQ9YucUdk

1971年、弟のウィル・ニエベスも
のちにサンディエゴ・パドレスに所属するなど
プエルトリコの野球一家に生まれた
メルビン・ニエベスはルイスパレス高等学校を
卒業した1988年、アトランタ・ブレーブスと
契約しました。

1992年にメジャーデビューを果たした
スイッチヒッターは
フレッド・マグリフとのトレードで
サンディエゴ・パドレスに移籍したのち
1996年に移ったデトロイト・タイガースで
24本塁打を放つなどレギュラーとして
活躍すると、1997年まで3年連続2桁本塁打をマークします。

ちょうどその頃、
福岡ダイエーホークスは親会社の経営難が
表面化し、高年俸選手のリストラを
進めていた矢先、MLB通算63発と実績十分ながら
年俸5000万円の格安メジャーリーガーに
目をつけました。

「飛距離だけならメジャーでも10本指に入る」と
王監督も惚れ込み、獲得を熱望すると
1999年の開幕直前、身長188センチ、体重109キロの
助っ人は海を渡ってきたのです。

「当たった時の飛距離は凄かったですね。
フリー打撃で福岡ドームの一番深い所まで
飛ばしていたし、大阪ドームではセンター上段
に放り込んでいましたから。ただ試合では
なかなか当たりませんでしたけどね」と
チームメイトの井口氏が振り返ったように
長打力は抜群でしたが確実性に欠け
4打数ノーヒット3三振のデビュー戦となりました。

その後も王監督から
「そこまで大振りしなくても
当たれば飛ぶんだから」とアドバイス
されたものの全力で振り回すと
低打率ながら17本塁打、43打点をマーク、
主砲の小久保に松中、成長途上の城島らと
リーグ優勝に貢献します。

進出した中日ドラゴンズとの
日本シリーズでは
岩瀬投手からタイムリーを放つなど
投のペドラザ、打のニエベスとして
ダイエーホークスの初優勝、日本一に
一役買うと翌2000年は開幕4番を任されました。

ずば抜たパワーを見せつける28才の
大砲でしたが、2.4打数に1三振という
ラルフ・ブライアントを上回る
凄まじいペースで三振を繰り返すと
シーズンほどなくして出番は激減し
7月9日の西武ライオンズ戦で事件が起きたのです。

この日も序盤で三振を喫したニエベスは
7回ノーアウト満塁の場面で打席に立つと
初球のストライクを見逃します。

するとその直後、王監督が代打松中を
コールした事から
激怒した背番号42は唾を吐きベンチに戻ると
試合を途中で放棄、宿舎に帰ってしまいました。

事態を重く見た首脳陣は
ブライアン・バンクスと入れ替わりで
2軍降格を決めましたが
バンクスがそれ以上に日本野球に適応できず
再び1軍に戻ってきたニエベスは
10月の日本シリーズで意外な活躍を見せるのです。

今なお語り継がれる20世紀最後に
実現したホークスとジャイアンツの日本シリーズ、
ミレニアムON決戦の初戦、
3対3の同点で迎えた9回表に登場すると
左打席に入った助っ人は
巨人の槙原投手から東京ドームの
ライトスタンド上段に飛び込む
特大の決勝アーチをかっ飛ばしました。

「まさかあそこで打つとは、
なんて言っちゃいかんか」と世界の王も
驚いた打撃を見せると
第4戦でも斎藤投手から初回に同点本塁打を
放ちましたが2勝3敗と後が無くなった第6戦の9回表、
最後の打者として岡島投手と対峙した
右打席のニエベスは見事な三振に倒れたのです。

20世紀の日本プロ野球最後の打者となった
ニエベスはこの年限りで退団となったものの
チームの優勝旅行には参加、王監督も
「飛距離で夢を見させてくれた」と
日本シリーズでの活躍をたたえました。

NPB2年間で175試合に出場し
打率2割3分7厘、32本塁打、81打点の
成績を残して日本を去った助っ人は
その後、独立リーグやメキシカンリーグを
中心にプレーしたのち引退、
2012年、古巣ホークスを表敬訪問しましたが
2016年にストーカー容疑で逮捕されると
2022年には故郷プエルトリコの教会に
立てこもり、礼拝に集まっていた人々を
殺すと脅しながら教会の門を次々と破壊し
逮捕されたのです。

保釈金30万ドルを支払わなかったために
今も収監中だというニエベスは規格外パワーで
千葉マリンスタジアム史上初の場外ホームランを
かっ飛ばしたほか
福岡ドーム天井直撃タイムリーなど
そのパワーで数々の伝説を残しました。

「そこまで飛ばさなくていいから
もっと効率よく打ってほしいね」と
指揮官を苦笑いさせた助っ人が
試合前のフリー打撃で打席に入ると
「ショータイムが始まるぞ」と
選手やファンを喜ばせたのです。

阪神の野口捕手は
「彼との接触プレーが腰痛の原因。
あの巨体でドンと上に乗っかられたせいで
骨盤が歪んでしまい、引退した今も治らないね」と
語るほど、恐ろしい体格を生かしたバッティングで
東京ドーム外野席上段の看板を
大きく超える特大アーチを放った際には
スポンサーから「飛ばしすぎだ」と賞金をもらい損なうと
「看板に当てれば良かったのか。
先に教えてくれよ、そしたら看板まで飛ばさなかったのに」と
笑いました。

本塁打か三振かを地で行くスタイルで
両打席から長打を放ち
右打席の時は意外にも逆方向へ
逆らわないバッティングも見せた助っ人は
得点圏打率1割7分8厘ながら
代打成績は4割2分7厘と非常に高く
外野守備も得意でありませんでしたが
指名打者での出場はほとんどなかった
20世紀最後のホークス打線を支えた
プエルトリコの怪物、メルビン・ニエベス

いかがでしたでしょうか?
これからも海を渡り、日本に衝撃を
与えてくれた最強の助っ人たちを
ご紹介していきますので
是非ご登録よろしくお願いいたします。
ご視聴ありがとうございました

この記事が参加している募集

すごい選手がいるんです

よろしければサポートお願いします! いただいたサポートはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!