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【レックス・ハドラー】大学推薦と同時にニューヨーク・ヤンキース1巡目指名も受けたエリート選手はミミズやアリを食べる悪食パフォーマンスで人気者となり名将から新たな野球観を得て日本一に貢献した陽気な助っ人

割引あり

おはようございます。
日本で戦うために、海を渡ってきた
愛すべき助っ人たち。

今回はレックス・ハドラーを
取り上げていきます。

https://www.youtube.com/watch?v=VOF6usX5EZg

1960年、アメリカ合衆国アリゾナ州に生まれた
ハドラーはバラード高校時代、
野球のほか、アメリカンフットボールでも
優秀なワイドレシーバーとして
才能を発揮した事から
ノートルダム大学の推薦を受けましたが
同時に1978年のMLBドラフトでも
ニューヨーク・ヤンキースから
1巡目で指名されました。

「推薦で大学に入るか、
ドラフト1位でMLBに行くか迷っていたら
母がホットドッグを買ってきてって
頼んできたんだ。言われた通り
買い物に行って戻ってきたら、
おめでとう、あなたはヤンキースの一員よ!
って入団が決まってたのさ」
とピンストライプのユニフォームを
着る事になったのです。

1984年、ヨギ・ベラ監督のもと
メジャー昇格を果たしたハドラーは
ドン・マッティングリーらとチームメイトに
なりましたが、思ったような成績は残せず、
モントリオール・エクスポズや
セントルイス・カージナルスなど
複数球団を渡り歩く生活を送っていました。

すると1993年、日本では前年にセカンドを
守っていたジョニー・レイが退団し、
シーズン途中に獲得したジョニー・パリデスも、
満足な成績を残せなかったヤクルトスワローズが
その穴を埋められる助っ人を探していたのです。

「メジャーではベンチを温め続けていたから
とにかく毎日プレーしたかったね。
歌手である私の妻がMLBの試合前、
何度も国歌斉唱に呼ばれるものだから
夫人の方がグラウンドに登場する頻度が高いなんて
笑われたくらいさ」と出場機会に飢えていた
ハドラーは、レオン・リーからヤクルトの
関係者を紹介してもらうと入団テストを受けて
合格を勝ち取り、海を渡ってきたのでした。

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