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【フィル・クラーク】有名な野球一家に生まれた才能あふれる若者はMLBドラフト1巡目の将来有望な選手とされましたが芽が出ずに来日すると天才とゴジラが全盛期を迎えていた日本で開花した実力者

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おはようございます。
日本で戦うために、海を渡ってきた
愛すべき助っ人たち。

今回はフィル・クラークを取り上げていきます。

【フィル・クラーク】有名な野球一家に生まれた才能あふれる若者はMLBドラフト1巡目の将来有望な選手とされましたが芽が出ずに来日すると天才とゴジラが全盛期を迎えていた日本で開花した実力者 - YouTube

1968年、アメリカ合衆国テキサス州に生まれた
本名フィリップ・ベンジャミン・クラークは
長男ジェラルドがメジャーリーガーに、
次男アイザイアもマイナーリーガーに
なるほど地元で有名な
野球一家の三男として生まれました。

クロケット高校時代に強打が売りの
全米ナンバーワン捕手としてその名が広まると
1986年のMLBドラフト1巡目で
デトロイト・タイガースから指名されて入団、
3Aトレド・マッドヘンズで活躍した事から
ロサンゼルス・ドジャース傘下の
3Aアルバカーキ・デュークスに
在籍していたマイク・ピアッツァとともに
将来有望な選手と注目されたのです。

しかし守備に課題があったうえ、
右ヒザを故障した事から次第に外野手や
一塁手での起用が増えてきた1992年、
ようやくメジャーデビューを飾りましたが
すぐにサンディエゴ・パドレスへ移籍しました。

パドレス一筋のフランチャイズ・プレイヤー
トニー・グウィンに代わってライトを
任された右打者は102試合に出場し
メジャー自己最高となる打率3割1分3厘、
9本塁打をマークしましたが、
ヒザの具合が快方に向かわなかった事から
マイナーとメジャーを行き来する
エレベーター生活を余儀なくされたのです。

兄ジェラルドがヤクルトスワローズでプレーした
1994年は61試合、翌1995年が75試合出場と
準レギュラー扱いのまま迎えた1996年、
ボストン・レッドソックスへ移籍しましたが
ここでも大半を3Aポータケットで過ごす事になり
打率3割2分6厘、12本塁打、69打点の成績を残しました。

その年のシーズンオフ、本拠地を藤井寺球場から
大阪ドームに移してユニフォームも一新、
来季を新体制で臨むべく、そこそこの成績を残していた
クリス・ドネルスを
左投手が打てないからという理由で切ってまで
新外国人選手を探していた
近鉄バファローズはマイク・グリーンウェルの獲得を
検討しましたが、代理人ジョー・スロバが
かつてケビン・ミッチェルの代理人であった事から
不信感を抱くと
「マイナーとメジャーを行き来する生活を変えたい」と
日本球界挑戦を決断したフィル・クラークをリストアップ、
年俸5500万円で契約した
身長183センチ、体重90キロの助っ人は海を渡って来たのです。

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