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【デビッド・ホステトラー】先輩ランディ・バースから心構えを教わった一塁手はテキサスでレギュラーを獲得すると右の長距離砲を欲していた南海ホークスで門田とクリーンアップを形成した助っ人

割引あり

おはようございます。
日本で戦うために、海を渡ってきた
愛すべき助っ人たち。

今回は、デビッド・ホステトラーを
取り上げていきます。

https://www.youtube.com/watch?v=yh9XVnNy19Q&t=6s

1956年、アメリカ合衆国アイオワ州に生まれた
本名デビッド・アラン・ホステトラーは
1975年、76年と2年連続でサンフランシスコ・ジャイアンツから
指名されるもこれを拒否、南カリフォルニア大学に進学します。

1978年、改めてMLBドラフト4巡目で
モントリオール・エクスポズから指名されて入団した
右の長距離砲はマイナーリーグでのちに
阪神タイガースでプレーする事になるランディ・バースと
チームメイトになりました。

「ランディは常に若い選手たちを手助けしてくれたな。
彼から決して焦ってはいけないって教わったよ。
当時の私は早く結果を出そうともがいていたからね」と
後輩たちのよき見本であった神様ランディ・バースの
人柄を評しています。

入団から3年後の1981年、メジャーに昇格した一塁手は
翌年、テキサス・レンジャーズに移籍すると才能が開花、
レギュラーとして113試合に出場して
打率2割3分2厘、22本塁打、67打点の成績で
新人王候補に名を連ねました。

しかし、三振が多く右投手に弱いという弱点から
徐々に出場機会が減らされると
オブライエンとのレギュラー争いに敗北し
くすぶっていたところ
パ・リーグ初の投手5冠を達成し、
史上最強のアンダースローと呼ばれた
杉浦氏(すぎうらし)が
穴吹(あなぶき)監督の後任として就任した
南海ホークスから白羽の矢が立てられたのです。

1986年シーズンに向けて新体制を整えるべく
新外国人を探していたフロントは
門田(かどた)や山本といった左打者が多く、
右の長距離砲を補強ポイントに掲げていた事から
出場機会を求めていたデビッドと思惑が一致、
チームの三冠王で同じ一塁手だった
ナイマンを切ってまで契約にこぎつけると
身長190センチ、体重97キロの助っ人は
海を渡って来たのでした。

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