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大家友和という男

割引あり

今回は、大家友和さんを取り上げていきます。

京都で未熟児として生まれ、幼少期は体が弱く、
病気がちの毎日でしたが、漫画「ドカベン」に
出会い、野球に目覚めていきます。

男3人兄弟を女手一つで育ててくれている
母親を、プロになって楽させてあげたいという
気持ちも大家の原動力でした。

高校野球を続けてプロ野球の入団テストを受けることを
条件に、社会人になっていた兄が高校の学費を
援助してくれるなど、家族の応援も背に努力を続け、
京都成章高校3年時に遂にエースの座を掴んだのです

のちに広島東洋カープの捕手となる、
倉義和とバッテリーを組み、甲子園出場は
逃したものの、ノーランライアンの本
「ピッチャーズバイブル」を愛読し、
徹底的にトレーニングに取り組んだことで、

93年、河原、波留に続くドラフト3位で
横浜ベイスターズに入団したのです。

実はこのとき、横浜は3位で岡島秀樹を
指名する予定でしたが、巨人入団の密約があったため、
巨人が4位指名を予定していた大家を横浜にゆずるから
岡島を回避してほしいと要請された経緯がありました。

その後二人とも海を渡って、メジャーリーグで
活躍したことを考えると運命とは面白いものです。

横浜入団後、大家は、高卒ルーキーながら、
すぐに一軍入りを果たします。

そして登板2戦目となる、4月29日のヤクルト戦で
中継ぎとして、わずか3球でプロ初勝利を挙げたのです。

高校出身1年目の4月に勝利投手になった選手は
近鉄バファローズにドラフト1位で入団した
太田幸司以来、24年ぶりの快挙でした。

プロ入り3年目のオフ、フロリダ教育リーグに
参加したことで
大家の人生が大きく動き出します。

そこでアメリカのコーチから受けた指導、
Stay Back(ステイバック)のたった一言で、
悩んでいた、体が突っ込む癖が治り、軸足に体重を
乗せることができるようになったことで、日本に帰った翌年、
1998年にイースタンリーグで最優秀防御率のタイトルに輝きました。

大家は、ますますメジャー挑戦を意識し、
あこがれを募らせていきます。

運命とは不思議なもので、この年ベイスターズは38年ぶりに優勝。
野村弘樹、三浦大輔、斎藤隆など
2けた勝利をあげた投手陣に、川村丈夫や戸叶らも加わり
先発陣が黄金期を迎えていたため、
イースタンリーグで最優秀防御率のタイトルを獲得した
有望株の大家ですら、入り込む余地が無いような状況が
逆に幸いし、

大家のメジャーリーグ挑戦の希望を
球団が了承、自由契約となったのでした。

球団の外国人スカウト牛込氏の手助けにより、
レッドソックスと掘り出し物の大家はマイナー契約を
むすび、ついに、小さな頃からの夢であった
メジャーリーガーを目指して、海を渡ったのです。

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