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ボビー・ケッペルという男

割引あり

1982年、アメリカ合衆国ミズーリ州に生まれた
本名ロバート・グリフィン・ケッペルは
11歳の時に選出された
ミズーリ州少年野球チームの
一員として来日したほか、サッカーや
バスケットボールでもスポーツの才能を
発揮していました。

高校入学を機にバスケットボールと
野球の2種類に絞ったケッペルは
ポイントガードとして
母校を初の王者に導いたばかりか
野球のほうでも投手として
セントルイスの代表に選ばれるなど
両種目で活躍した事から
アスリート・オブ・ザイヤーに輝いたのです。

2000年のMLBドラフト会議で
ニューヨーク・メッツから
1巡目指名されると、入団後もプロ生活の傍ら、
両親の母校であり
2歳上の姉も通っていたノートルダム大学に
通学しながら、ビッグリーグを目指していました。

長いマイナー暮らしを経て移籍した
カンザスシティ・ロイヤルズで
2006年5月25日、ようやく
メジャーデビューを飾りましたが
0勝4敗の成績に、その後は
コロラド・ロッキーズや
フロリダ・マーリンズ、
ミネソタ・ツインズなど
複数球団を転々としていたのです。

2009年、ツインズの3Aで55回を投げて3勝3敗、
防御率2.43と自己最高の成績を収めた事から
メジャー再昇格を果たした27歳の長身右腕は
リリーフとして37試合に登板するなど
光が見え始めていた10月6日、
勝てば地区優勝が決まる
ワンゲーム・プレーオフの延長11回から
8番手を任されると
チームがサヨナラ勝ちをおさめた事から
メジャー初勝利を手に入れました。

若手の成長株としてツインズは来季の
構想にケッペルを入れましたが
ローテーションを任せられる先発投手を
探していた
北海道日本ハムファイターズのスカウト、
ハーグシャイマーとマット・ウインタースから
移籍話を持ちかけられたのです。

当初は難色を示していたツインズ側も
「長いマイナー暮らしで野球イコール仕事だと
割り切るようになっていたけど、やりたかった
スターターとしてのオファーだったから
日本に行きたかった」と最終的には本人の
意向を汲んで快諾、
年俸50万ドルの2年契約を結んだ
身長196センチ、体重97キロの助っ人は
海を渡って来たのでした。

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