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【スティーブ・オンティベロス】西武ライオンズ黄金期を作り上げた助っ人は来日する外国人の大半がマイナーリーグか旬を過ぎた選手が多かった時代にやってきた現役バリバリ本物のメジャーリーガー

おはようございます。
日本で戦うために、海を渡ってきた
愛すべき助っ人たち。

今回は、スティーブ・オンティベロスを
取り上げていきます。

https://www.youtube.com/watch?v=EbammUxBRRE&t=7s

1951年、アメリカ合衆国カリフォルニア州に
生まれたスティーブは
ベーカーズフィールド高校を卒業した1969年、
MLBドラフト6巡目で
サンフランシスコ・ジャイアンツに指名されて
入団すると、4年後の1973年に
マイナーリーグのプレーヤーオブザイヤーを
受賞する活躍を見せてメジャーに昇格しました。

堅実な守備と打率を残せる巧打者は
1977年に移籍したシカゴ・カブスで
サードのレギュラーに定着し、5番や6番を
任されるようになると
1979年も152試合に出場して打率2割8分5厘に
57打点をマークしたのです。

ちょうどその頃、親会社が4度も変わり
Bクラスが定位置だったライオンズを
西武グループが引き継いだものの
戦力はまだまだ他球団に劣っていた事から
1980年、打線の軸を任せたい
とMLBドラフト1巡目指名の
経歴を持つテーラー・ダンカンを
獲得しましたが攻守に精彩を欠いていました。

そこで後半開幕前にサードが守れる
新たな助っ人探しに奔走したフロントは
MLB8シーズン中4シーズンを
レギュラーとして活躍しながらも
1980年は監督と意見が合わず
6月途中まで30試合の出場に留まっていた
身長183センチ、体重84キロの
スイッチヒッターに白羽の矢を立てたのです。

メジャー通算732試合に出場して打率2割7分4厘、
24本塁打、224打点をあげていた
現役バリバリの大リーガーは
カブスで干されている現状を打破しようと
年俸5300万円の3年契約という当時では
破格の厚遇で海を渡って来たのでした。

所沢本拠地移転の初年度となった
1980年7月1日、オンティベロスでは
長すぎると、登録名をスティーブにした
29才の中距離砲は来日すると、
3日後に開幕した後期シーズンの初戦に
スタメン出場、近鉄バファローズの鈴木投手の前に
4打数ノーヒット、2三振に終わります。

「スズキは大リーグにもいないほど
コントロールのいい投手だね。
ストライクゾーンの違いにも戸惑ったよ」と
語った翌日の同カードでは4打数3安打の
固め打ちに、三塁線の打球を
ダイビングキャッチして一塁へ
矢のような送球を見せました。

マイナーやメジャーで全盛期を
過ぎた選手の来日が多かった時代に
現れた本物は、すぐに日本の野球に
アジャストすると後期優勝争いの原動力となり
打率3割1分4厘、16本塁打、50打点の
成績を残したのです。

翌1981年は新たに加わった新助っ人
テリー・ウィットフィールドとともに
チームの主軸として躍進すると
1982、83年と2年連続の日本一に貢献、
自身もベストナインに日本シリーズ優秀選手賞など
西武ライオンズ黄金時代の幕開けを
担いました。

3番サードとして24年ぶり日本一に貢献した
助っ人は4年連続打率3割超えに
最高出塁率4割1分9厘で打撃タイトルを獲得したほか
1983年シーズンは開幕最多連続出塁記録40試合という
偉業をなし遂げて、最終的に打率3割2分1厘、17本塁打、
85打点をマークしたのです。

2019年に、坂本勇人選手が開幕からの連続出塁記録36試合を
記録した事で時を経て注目を集めたスティーブでしたが
翌1984年は相棒のテリーが大リーグ復帰のために退団、
田淵、山崎の不調や新助っ人ジェリー・ホワイトの不振も
重なった事から孤軍奮闘すると
キャリアハイとなる打率3割3分8厘、20本塁打、101打点の
成績を残しました。

日本最終年となった1985年は工藤、渡辺、伊東、秋山ら
新旧交代を感じさせる若い力でペナントを制した
王者西武ライオンズの中で打率3割1分5厘、11本塁打と
悪くない数字を残しましたが、なぜか球団は契約の打ち切りを
通達したのです。

帰国後はスパッと野球から離れて引退し
サンディエゴで広告デザイン会社の経営に携わった助っ人は
左右の両打席からシュアな打撃で勝負強さを発揮、
高い出塁率でチームに貢献したほか、
噛みタバコをくちゃくちゃやりながらサードの守備につくと
打者ごとに守備位置を変える繊細さで
「さすが大リーガー」と称賛されました。

また血の気の多さも折り紙付きで日本ハムの大宮捕手と殴り合い
阪急の今井投手にはバットを投げつけるなど
デッドボールやブラッシュボールに激昂して乱闘騒ぎを
起こしては退場処分を受けたのです。

トレードマークの口髭に禿げ頭でカブス時代に
カツラのテレビCMに出演したほか、
スライディングの際にカツラが飛んで大爆笑を
巻き起こした事もある助っ人は
移動の際に3種類のカツラを使い分けて装着、
優勝祝勝会では毛がない頭頂部にビールを
注がれながらはしゃぐ姿で日本にも笑いを届けました。

在籍6年間で3度の出塁率4割超えという選球眼の良さと
メジャー仕込みの打撃でBクラスの常連だったチームを変えた
安打製造機は陽気なムードメーカーとしても
無くてはならない存在となり
広岡監督のもと「常勝軍団」西武ライオンズの礎を
築いた両打ちヒットメーカー、スティーブ・オンティベロス。

いかがでしたでしょうか?

これからも海を渡り、日本に衝撃を
与えてくれた最強の助っ人たちをご紹介していきますので
是非ご登録よろしくお願いいたします。

ご視聴ありがとうございました

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