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黒いテッドウィリアムスの異名で全米1位の評価を受けニューヨークのスターとなった強打者は薬物や病気など様々な試練を受けながらもファンに愛された天才打者ダリル・ストロベリー

割引あり

おはようございます。
今日、取り上げるのは
メジャー史上最も才能を浪費した
天才スラッガー、
ダリル・ストロベリーです。

https://www.youtube.com/watch?v=nxfn7VtVIW0

1962年、
アメリカ合衆国カリフォルニア州に生まれた
本名ダリル・ユージーン・ストロベリーは
クレンショー高校時代、
のちに
シンシナティ・レッズで
3年連続ゴールドグラブ賞に輝く
エリック・デービスらと
しのぎを削ると
黒いテッド・ウィリアムズと
恐れられました。

1980年のMLBドラフト全体の1位で
ニューヨーク・メッツに指名されると
1982年に2Aで34本塁打、97打点、
45盗塁を記録、
1983年の5月には早々(はやばや)と
メジャーデビューを決めて
打率2割5分7厘、26本塁打、74打点の
成績を残すなど
ルーキー・オブ・ザ・イヤーに選出されたのです。

大器の片鱗をおおいに見せつけた新人は
翌年にはオールスターゲームに初選出され、
メジャーに昇格してきた
ドワイト・グッデンと共にチームの若き主力になると
1986年のオールスターゲーム、
ホームランダービーで優勝を飾り
シーズンの方では27本塁打、
93打点をマークしてチームの地区優勝に貢献しました。

進出したリーグチャンピオンシップシリーズでは
ノーラン・ライアンから本塁打を放つなど
アストロズを下してリーグ制覇を成し遂げると
ボストン・レッドソックスとの
ワールドシリーズでも本塁打を放ち
ついに世界の頂点に立ったのです。

108勝という圧倒的な強さを見せた
チームのスター選手にニューヨーカーは熱狂し
翌年も39本塁打、36盗塁で
「The 30-30 (サーティサーティ)Club」の仲間入りを
果たすと
1988年には本塁打王を獲得、
リーグ優勝とはならなかったものの
MVP投票で2位に入るなど
瞬(またた)く間にメジャーを代表する
スラッガーとなったストロベリーでしたが
少しずつ暗雲が立ち込めてきました。

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