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【リチャード・デービス】弁護士一家に生まれながら自分だけ異質だったという巧打者はシーズン途中の緊急補強で日本にやってくると野球は楽しんでやるものだと自由な雰囲気を感じさせた永久追放のジャーニーマン

割引あり

おはようございます。
日本で戦うために、海を渡ってきた
愛すべき助っ人たち。

今回はリチャード・デービスを
取り上げていきます。

https://www.youtube.com/watch?v=8Jgm6PDoTgA

1953年、アメリカ合衆国カリフォルニア州に生まれた
デービスはスノー大学から
ミルウォーキー・ブルワーズに入団すると
1979年に12本塁打を放つ活躍を見せましたが
レギュラー定着とまではいかず、
フィリーズやブルージェイズなど
数球団を渡り歩く生活を送っていました。

1984年、近鉄バファローズは
メジャー通算1623安打に
176本のアーチを描いた大物メジャーリーガー、
ドン・マネーの獲得に成功、
4番打者として開幕わずか1か月で
8本塁打を放つ活躍を見せていた矢先、
予想だにしない出来事が起こります。

爆撃でもされたのかと思ったほど
老朽化した球場にガラガラの客席、
冷暖房が故障したゴキブリの這いずり回る
神戸の中古マンションから
毎日3回乗り換える1時間半立ちっぱなしの
通勤電車にドン・マネーは
不満を募らせていきました。

英語も通じない異国の地で同行していた
シャロン夫人がホームシックにかかり、
我慢の限界に達した助っ人は
「これは誰の責任でもありません。あえて言えば
環境に適応できなかった私自身の責任ですので
お金は返します。だから帰らせて下さい」と
5月7日、
わずか29試合の出場で帰国してしまったのです。

後を追うようにもう1人の助っ人、
リチャード・デュランも退団し
チーム本塁打数の半分を占めていた
両外国人を欠く事になった近鉄は
緊急補強の必要に迫られると
MLBの複数球団を渡り歩きながらも
通算打率2割6分5厘を残していた
30歳のリチャード・デービスに
白羽の矢を立てました。

シーズン開幕後に獲得出来た新助っ人に
近鉄ナインの間では
「トラックの運転手をしていたらしい」と
噂になりましたが、当の本人は
「日本に来たのは野球が好きで
たまらないからさ。だって
野球は楽しんでやるものだろ?」と
意に介さず、身長190センチ、体重88キロの
ヒゲ面のジャーニーマンは
海を渡ってきたのです。

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