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マイク・イースラーという男

割引あり

オハイオ州に生まれたイースラーは
ベネディクティン高校を卒業後、
1969年のMLBドラフト14巡目で
ヒューストン・アストロズから
指名を受け入団、1973年、代打で
メジャーデビューを果たしました。

その後、カリフォルニアエンゼルス、
ピッツバーグ・パイレーツと続けて移籍しますが
1980年、パイレーツでレギュラーに定着すると
6月12日のレッズ戦でサイクル安打を達成、
1981年にはMLBオールスターゲームにも出場します。

1984年からはボストン・レッドソックスに移籍、
主に指名打者として、156試合に出場、27本塁打、
91打点、打率3割1分3厘、
1985年も155試合に出場して、16本塁打、74打点、
打率2割6分2厘と
活躍したのち、ニューヨーク・ヤンキース、
フィラデルフィア・フィリーズ、またヤンキースと
メジャー実働14年で6球団を渡り歩きました。

メジャーで積み重ねた実績は通算打率2割9分3厘、
1078安打、ホームラン118本と輝かしいものでしたが
37歳のベテランとなった1988年のシーズンは
自身の代理人がヤンキースと交渉中に揉めた事から
テキサスレンジャーズの
トリプルA、オクラホマシティーからの
スタートを余儀なくされます。

ちょうどその頃、日本ハムファイターズは
開幕直後に腰痛で出遅れた
助っ人ブリューワの代役としてオリオールズの
リー・レイシーと契約寸前でしたが薬物使用の
前科が発覚した事で白紙に。

「日本ハムがまた代役を探しだしたぞ」と
仲の良かったヤクルトスワローズ所属の
デシンセイから聞いたイースラーは、
もう大リーグ復帰は難しいだろうと
感じていた事もあり日本行きを希望、
自ら売り込みに来たのです。

日本ハム側もイースラーには
目をつけていた事から交渉はスムーズに
進み、年俸6000万円で契約、愛する妻と3人の
愛娘(まなむすめ)を故郷クーリブランドに
残して、シーズン途中から単身、
海を渡ってきました。

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