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私がメーテルになった日

 友人のSは古くからの松本零士ファンである。彼の部屋に遊びに行くとコミックが全巻ずらりと本棚に並べられ、別の棚にはキャプテンハーロックなどの人気キャラクターのフィギュアやメカの模型がびっしりと並べられている。
 数ある作品の中でSが特に好きなのは『銀河鉄道999』だそうで、コミックとテレビと映画の違いなどは何度聞かされたかわからない。そればかりか、車のナンバーを999にしているほどである。

 ある時、私は近所――と言っても自宅から十数キロ離れたところにホテルの廃墟があると知り、Sを誘って行くことになった。彼の車をあてにしていたわけだが、特に廃墟や心霊現象に興味があるわけではないSはそれでも快く付き合ってくれた。
 夜十時過ぎ、一車線の国道を走って現地へ向かう。途中から細い山道に入り、ひたすら上って行くと、左手にそれらしき建物が見えた。三階建ての飾り気のない造りで、車のライトに一瞬照らされた看板でホテルと分かった。
 自分等の他には誰も見当たらない。一時期は話題にもなったようだが、今は誰も興味を示さないのだろう。
 舗装の剥がれた駐車場らしきスペースに車を止め、ジャリジャリと小石を踏み鳴らしながらホテル入り口へと向かう。正面の扉はガラスが割れて、そこから容易に中に入ることができた。
 中は多少荒らされてはいたが、構造的な崩れは殆どなく、ホテルの建屋内としての形は保たれていた。玄関から順にここがロビーか、ここがレストランか、ここが浴場かと確かめながら見て行く。特にこれといった怪しい物や不穏な空気も感じられない。さほど大きくないホテルのワンフロアーはすぐに周ってしまい、それでは上の階へ行くかということになった。
 カーペットの剥がれかけた階段を二階へと上っていくと真っ直ぐな廊下があり、両側に客室が並んでいる。
 手前からひと部屋ずつ見ていく。やはりなんの変哲もないホテルの部屋だ。
「なんか、期待はずれだな」と、後ろを振り向くとSがブルブル震えている。
「どうした」
「寒いんだよ」
 九月の初め、夜とはいえTシャツ一枚でも私には熱いくらいだ。
「なんでそんなに寒いんだ? 風邪でも引いたか。とにかく行くぞ」
 Sを促してまた歩き出す。やはり何もない。期待はずれでうんざりしながら廊下の中程に差し掛かり、208号室のドアを開ける。中は何も見えない。
「ああ、つまんないな。来るんじゃなかったな」
 ため息まじりにそう言いながらSの方を振り返ると、Sは私を指差し、
「メーテル、メーテル!」
 と震える声で言った。
「え? 何?」
 意味がわからない。ここに来てまで松本零士はないだろうと思った。
「なんだよ、俺がメーテルならお前は鉄郎か?」とふざけて返すしかなかった。するとSは、指差した手を更に突き出して、
「違う違う、お前の後ろ、ミエテルんだよ、霊が!」

―― 了 ――

(この話はフィクションです)

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