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会議卓は踊る

 この話は友人のHから聞いた話であるが、90パーセント嘘ではないかと私は思っている。なぜなら彼はお調子者を絵に描いたような人物で、私は彼の景気のいい出まかせに何度騙されたか分からないほどなのである。それでもたいへん興味深い話だったので、かなり脚色しつつもここに紹介することにする。

 Hが勤めるIT企業の会議での出来事である。プロジェクトの方向性を決める大事な会議であるが、なんとも重苦しい空気が漂っている。部長――実際はカタカナの長い肩書きらしいが忘れてしまったのでこうしておく。以下の肩書きも同様――のお気に入りの新人、愛川の案と、課長の取り巻きの主任、笹原の案とが対立している。これはいわゆる派閥争いだ。取り立てて能力は高くないくせに取締役に取り入って昇進した部長。実績もあり住宅ローン返済のために少しでも早く部長に昇進したい課長。この二人の争いは部下にも大きな影響を与えていた。二人が同期というのもまたタチが悪い。
 対立と書いたが、侃侃諤諤かんかんがくがくと意見がぶつかり合っているわけではなかった。派閥に属さない部下が、どちらに忖度すべきか困っているのか意見を出さないために、一向に前に進まないのだ。最後は部長の責任で決定してしまえば良さそうなものだが「うちは民主主義だから」とかなんとかのたまって責任を回避するのが彼の常であった。従って、いつも多数決で決着を付けることになっており、さらに、全員が意見を出すまでは採決しないルールなのである。だが、今回は無派閥の部下たちは意見を求められてもなかなか口を開かないので採決できずにいる。おそらくこのプロジェクトの方向如何いかんによって人事に大きな影響を与えると考えられるため、おいそれとは意見を表明出来ないのであろう。
 そこで、痺れを切らした部長がこう提案した。
「今回は特例ということでこのまま採決してはどうかな」
 勝ち目があると判断したのであろう。彼はリスクを冒してまで決断する男ではない。その魂胆はおそらく全員が察しているのだろう。疑いの眼で部長を見る者もいる。ところがいぶかるでもなく課長が即座に返した。
「そうだね。埒が開かないからね」
 彼は何人かに根回しをしていたのに賛同意見が出ないことに幾分苛立っていたのだが、多数決ならば確実に票を獲れるだろうと踏んだのに違いない。
「では、そういうことで。挙手をお願いします」
 双方の取巻きが大丈夫かというように不安げな顔で見まわした。
「ちょっと待って下さい」
 入社三年目の田中が手を挙げた。派閥に属さない中で唯一意見を出したのが彼だ。
「意見が出なかったのはどちらを支持するかわかってしまうからだと思うんです。だとすると挙手にしても同じではないでしょうか」
 どこかでチッという音が漏れた。
「なるほど、確かにそれもあるな」と、部長が苛立ちを隠しながらゆったりとした声で言った。
「じゃあ、どうしようかな。そうだな……無記名投票ならどうかな」
「それも筆跡でわかってしまうと思います」
 憎しみの混じった大きなため息が複数聴こえた。
「じゃあ、どうするんだ!」
 課長は苛立ちを隠さない。課長のみならず殆どのメンバーがそう思ったに違いない。
「そこまでは考えていません……」
 舌打ちとため息が同時に起こった。
 暫く沈黙が続いたあと、課長派の三井が切り出した。
「三十分頂けたら、スマホで投票できるコードを書きますけど」
「そんなに待てないな。ただでさえ時間押してるんだから」
 部長が即座に否定した。課長派の書くコードなど信用できないのだろう。
「あの……」
 部長派の添田が恥ずかしそうに手を挙げた。
「非常にアナログなんですけど、目を瞑って押し合うというのはどうでしょうか」
 全員「は?」という顔で添田を注視する。
「田中君が懸念したのは意見が可視化されることだと思うんですよ。目を瞑って物理的に方向性を示し、その総和のエネルギーがどちらを向いているかで決めたらいいのではないかと」
 そう言われると、一見稚拙に思えたアイデアもなんだか論理的に聞こえてくるから不思議である。
「それで、具体的にどうするんだ」
「全員背中合わせになって固まるんです」
「え、何? おしくらまんじゅうか」
「ああ!」とか「ええ?」とかいう声の中、若者数名はキョトンとしている。おしくらまんじゅうを知らないのだろう。
「で、たとえばドア側が愛川案、窓側が笹原案。集団がどちら側に動くかで決めたらいいと思うんです」
 苦笑が漏れた。呆れた顔の者もいる。この大きなプロジェクトを子供の遊びで決めてしまうのか。親戚中の自慢であるこの会社の会議がこんなだと知れたら笑われるだろう。そんなことを考える者もいた。
 と、部長が手を打った。
「それだ!」
「ええ?」と、部長と提案者の添田以外の全員が目を丸くした。何人かは部長を二度見した。
 実は部長には武器があった。「突っ付き」と称し、相手の腰、斜め後ろを指で突くのである。相手はビクリとして振り返る。そのとき(分かってるな)と眼で圧をかける。すると誰でも言い成りになるのだという。――
「そうしよう。いい案だ」
 そう言ったのは課長だ。皆、更に目を見開いた。これには部長も添田も驚いた。
「ああ……課長がそういうなら」と笹原。
「じゃあ、テーブルを壁に寄せて真ん中に集まろう」との課長の掛け声で皆ダラダラと動き出した。その中で特に動きが遅いのは課長派の松本だ。力士を思わせるような巨漢で体重は100キロは超えているだろう。袖で汗を拭きながら片手でチョンとテーブルを押している。
 それを見て慌てたのが部長である。押し合いで勝負が決まるのなら圧倒的に不利だ。だが、課長がこの案を承諾した理由に今更気づいてももう遅かった。
 全員が中央にダラダラと集まった。プロジェクトの方向性を決める重大な使命感はもうどこにも感じられない。しかし決着は付けなければならない。自分達が勝利を収めなければならない。そんな中、いちばんキビキビと動いているのは勝利を確信している課長かもしれない。
「さあ、全員背中合わせになって。なるべくランダムにね」
 とは言っても十人が丸くなって背中合わせになるのは無理がある。楕円にすらならないいびつな輪ができ、中に挟まって潰されそうな者もいる。
「無理無理!」
「誰だよ、こんな提案したの」と、ますます不満が飛び交う。
「中にテーブルを入れてテーブルを押す形にしたらどうでしょうか」と添田。多くの者はまた稚拙なアイデアかと思ったが妥協案としては悪くはなかったようだ。
「ああ、それしかないか」課長がため息まじりに言った。
 長テーブルが一つ引き出され、中央に置かれる。ドアと窓に挟まれて横向きに置かれたテーブルを背に五人ずつ両派入り混じって並んだ。添田が提案したとおり、ドア側が部長派の愛川案のゴール、窓側が課長派の笹原案のゴールである。つまり、派閥と位置によって押す者がいたり引く者がいたりするわけだ。
「みんな位置についたね。じゃあ、セーノ――って言ったら押すんだよ」
 数名が一瞬ピクリと反応したが、皆その手には乗らない。いつも課長のオヤジギャグには辟易している皆にとって、使い古されたネタがここで飛び出すことは想定内だ。課長もまたスベることには慣れていたので何事もなかったかのように仕切り直す。
「行くよっ、セーノ」
 一斉に双方の力がぶつかり合い、ドアの方へ窓の方へと押しては押され――
 とはならない。複数の起点から発するバラバラなベクトルはテーブルを不規則に踊らせた。ドアでも窓でもない斜めの方向に動いたかと思えば半回転してまた戻ったりと、誰がどう押しているのか引いているのか自分でも分からない始末。
 と、力士松本が直立不動になり、妙な言葉を吐いた。
「ふへっ、ほひゃっ、ぶぁーじょ」
 見ると白目を剥いている。両手を上げてくるりと背を向けたかと思うとそのままドスン、ドスンと壁の方へと歩いて行く。
歩いているというよりも身体が壁に引き寄せられるのに従って足が勝手に動いているようだ。二歩、三歩……。壁に到達するとそのまま顔面からぶち当たり、捻りを加えながらズズっと壁伝いに沈んでドスンと腰から落ちた。ビルが揺れたような気がした。チカチカチカっと蛍光灯が瞬く。
 他の皆は驚きのあまり声も出ず、押すことも引くことも忘れて立ち尽くした。
 と、誰が押すでもなくテーブルがススーッと動き出す。時計回りに回るテーブルに、端にいた者は押し出され、中にいた者は一緒に回される。
「なんだなんだ」
 回転は一気に加速する。
「おい、めろ!」
 皆が必死に縋り付く。が、すぐさま振り払われる。ブンブン唸りをあげて回るテーブルに、遂には皆一斉に壁に弾き飛ばされた。
 抵抗する者がいなくなったテーブルは次第に回転速度を落とし、やがて回転をやめて余力でススーっとドアの方へ動き出した。そして、ゴンとドアに当たって静かに止まった。
 壁際に倒れかかり、あるいは床に這いつくばった面々はただボーッとそれを眺めていた。
 結局、取り決めたルールどおり部長派の勝利と判定され、プロジェクトはその案で進められた。結果がどうなったのかはご想像にお任せしよう。

 この話を終えたあと、Hはこう言った。
「これって、会議の神様の怒りだったんじゃないかって、そう思うんだよね」
 私は、今までHに聞いた言葉の中でこの言葉がいちばん真実味があるように今でも思っている。

―― 了 ――

(この話はフィクションです)

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