ひかりの果てで逢ひませう(掌編/短編)

 ――〈淡い夢を見ていたのでした〉。その冒頭が有名な遺書は、自殺した女性作家・北原しづくの大ヒット作「ひかりの果てで逢ひませう」の新装版で収録された。
 
 
 天国へ行った人は、生まれ変わりの際に一つだけ願いを叶えて貰える――そんな世界を描いた恋愛小説「てんごく」は、二四歳の彼女に複数の文学賞受賞をもたらし、華々しいデビューとその後の素晴らしい作家生活を贈った。外れがない、と評された北原しづくの作品群は、どれも瑞々しくありながら重厚な味わいを持つ、非の打ちどころがない安定した完成度を誇り、彼女を担当した僕自身、今でも一人の立派なファンだ。
「売れ行き、好調ですね」
「ありがとう、高松さん」
 思い出せば、懐かしい会話だった。しっとりと濡れた、秋が似合う声をしていた。
 上質な布を思わせる長い黒髪、どこか憂いを帯びた眼差し。あどけなさの残る顔立ちをしているけれど、その存在はスノードームみたいに、終わりを知っていながらも静かにそれを待ち続ける様な、儚い印象を与えた。
「……これね、とても思い入れがあるの。だから全力で書いたんだ、北原しづくの代表作って言われる様に。よかったよ、結果が出てくれて」
 実際、ドラマなどにもなった過去の作品を大幅に上回り、記録的な売り上げを叩き出していて、最高傑作ですらあった。恋愛小説の、新たな金字塔。数多くの人たちにこんなにも響き、共感され、話題を呼び、名を残した事、僕としても嬉しかった。
「ずっと書きたかった。ちゃんと作品に応えられるだけの腕があるって、自分で思える様になるまで待ったの。……これを書く為に、私は生まれて来たんだから」
 彼女の呟きは青い炎に似て、小さくも強い熱を秘めた、まぎれもない本心だった。
 だから、僕に言わせれば、突然、なんて事はなかった。
 
 
「ひかりの果てで逢ひませう」の映画化が決まった矢先、彼女は天使になろうとするみたいにして、椅子を蹴った。まるでお遊戯の様に宙に浮いた彼女の得た輪は、黄金色でもなければその向きは水平でもなかった。
 多くの人が誤解していた。順風満帆、なのは間違いない。ただ、本人の頭上で推し進められたその決定は、世間が考えるのとは真逆の、全くよくない意味で北原しづくの背中を押したのだ。「ひかりの果てで逢ひませう」のメディア化だけは、ずっと拒み続けていたから。
「……あれはね、他人に演じて欲しくなんかないの。私の、全てだから」
 雨の始まりみたいにぽつりと落とした言葉を、覚えている。
「私の体験、実話なの。……私は私しか居ないし、彼は彼しか居ない。だから、真似事みたいにされるのは嫌。誰も、立ち入らせたくない」
 そんな理由で死を選んだ事、人は知らない。知ったとして、どう思うだろうか。
 僕は、彼女と同じ気持ちでいた。
 
 
〈私が『てんごく』へ行った時、願いを叶えて貰えたら――きっともう、生まれ変わらない事を望むでしょう。私はこの世で、全ての役目を終えました〉
 
 北原しづくは、本当にそう望んだだろう。
 
〈あなただけを、愛しています〉
 
 本当に、望んだだろう。
 
 
 空が宇宙である事を忘れる程、青い。なのにあまりにも穏やかで、死後の安息、ひかりの果てを、秋は最も間近に感じる。いつまで経っても綺麗だ、この世界は。
 北原しづくが北原しづくになる前、きっと天国で叶えて貰った願いは、こうだ。「記憶を、来世へ引き継いで下さい」。だって君は、実話、なんて言っていたけれど、それは決して、北原しづくとしての体験ではなかったのだから。
「てんごく」は、フィクションなんかじゃない。その場所に辿り着けた人は、ちゃんと叶えて貰えるのだ、願いを。記憶を引き継いだ副産物として、君は天国の理も知っていた。
 そして、君は生まれた。時が来て、やがて綴った。最愛の人との思い出を残して、そこに全てを託して、逝った。君の生まれ変わりは、今度はもうどこにも居ないだろう。天国で、望んだ通りに。彼女にとって残念なのは、ひかりの果てで思い人に逢えない事だ。
 僕が高松祐樹として「ひかりの果てで逢ひませう」を初めて読んだ時、何もかもが懐かしくて、それでいて鮮やかで、思い出は血管を巡るものなのだと言わんばかりに体が熱くなった。この広い世界で巡り逢えた事に、そして、君の前世の願いが僕と同じだった事に、心の底から感謝した。
 けれど、同時に悟った。
 君が愛しているのは、あくまで前世の僕、ただ一人だけだ。
 
 天国で叶えて貰える願いは一つだけ。僕がまた天国に行ったとして、君の愛した人に戻る事を望むのなら、記憶の引き継ぎは諦めなければならない。記憶は手掛かりだ。それを失えば、君の愛した人は君を忘れているし、ひかりの果てへも辿り着けない。けれど、今の僕が天国でひかりの果てを望んでも、君の愛した人ではないのだ。
 僕たちはもう、正しく巡り逢う事は出来ない。それでも。
 君は君のやり方で、永遠の愛を誓った。
 だから僕も僕のやり方で、永遠の愛を誓い続ける。
 
 
 ――「淡い夢を見ていたのでした」。その冒頭が有名な遺書は、およそ二七〇年前に自殺した女性作家・北原しづくの大ヒット作「ひかりの果てで逢ひませう」の、当時の新装版から収録されている。本の形で入手するのは、すっかり難しくなった。
 毎回、二〇歳になった時、それまでの記憶は読み込まれる。人間の能力と言うか、性質上、流石に生まれた時から持ってはいられない。
 ひたすらに同じ願いばかりを持ち込み続けて、君の愛した僕から六代目。もし前世で天国に行けていなかったら、忘れた事すら忘れてしまうのだろう。
 ……安堵する。よかった、今回もちゃんと誓いを守れたみたいだ。
 
 これでまた君に、ひかりの果てに居る君に、「愛している」の言葉を。
 
 この僕もやっと、二〇歳になった今なら告げられる。


 あなたには「淡い夢を見ていた」で始まり、「今なら告げられる」で終わる物語を書いて欲しいです。
#書き出しと終わり
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