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生きて、いたくても――Oct#13

 ここから見える空は、手が届かない方が不思議だった。
 いつだって僕の為にあって、いつだって僕の側に居る。雨が降ろうが、風が吹こうが、どうやったってなくならない。今考えてみれば、生きていたいと思える唯一の世界から、僕は飛び出して死を選ぼうとした。皮肉な事この上ない。
 酒の作用や辛労が重なった悪果なのか、体調が思わしくなくて学校を一日休んだ。それ以上にあの日は色々あり過ぎて、整理する時間が欲しかったから、変な表現だけれど渡りに舟ではあった。と言っても、気持ちは落ち着いている。身中にあった激情は、あの公園で全て叩きつけて来た。寧ろ冷静に思い返すと、途轍もない事を吐き散らかしていて、自分でも恐いくらいだ。偶見も随分と言葉が悪かった。何かそう言う時期があったんだろうか。恐い。
 初めて、痛みに対して一切抑えつけずに、ただ叫んだ。大体、今までの衝動はどれも内側に向かっていたから、「殺してやりたい」なんて考えた事もない。その勁烈な効果は、明らかにそれまでを超えていた。
 僕にとって三日振りの屋上だった金曜日、昼になっても偶見は来なかった。「風邪引いたって事にして、暫く休むね」と連絡は入っていたけれど、彼女の姿を実に一〇日も見なかったのだから、立て続けに二回も能力を行使した代償は相当の重さになる。
 公園からの道中でも、僕に縋って歩く偶見はずっと状態が怪しくて、駅までは僕が送り、駅からは母親の迎えで帰った。もう大丈夫、後は車だから。彼女は言って、僕は改札を通らなかった。ごめんかありがとう、或いはその両方で悩んで、僕は別れ際、感謝だけを口にした。憔悴し切った笑顔が返って来て、多分、三つの中に正解はなかった。一番近かっただけだ。
 今日は行けると、メイルが届いていた。鍵を開けるのは僕で、偶見は時間をずらして僕より少し遅れて来る。だから、常に僕が待つ側だ。開放され切った密室。蒼穹に覆われた屋内。深呼吸をした。彼女と対面する事すら、普段とは違う心持ちになる。
 目の前で、軽い音と共に、ノブが回る。
「……久し振りだね。よかった、生きてて」
「偶見こそ……本当に、心配したよ。もう、大丈夫なの?」
「うん、大丈夫。万全。キリなさそうだし、その話はもうなしにしよう」
「そう、だね。……だけど、一つだけ」
 早速、僕は本題に入る。「復讐、って、言ってたよね」
 ずっと蟠っていた疑問。この真意は、質してみないと分からない。幾ら「殺してやりたい」と思った所で、有言実行なんて以ての外だ。それでも彼女は平生の、何でもない様な顔で言った。
「それしかないでしょ。知られたくない死にたくない、解決の道が他にないんだから」
「……って言ってもさ」
 単純に、僕にそれだけの力や勇気がない事もある――そんなものがあれば、とっくに何かを試している――し、状況としても多勢に無勢だ。だけど何より、彼たちに類する卑劣で低俗な手段に訴えたくなかった。僕自身への裏切りにもなるから。でもそうなれば、今度は復讐と言う行為自体が成立しない。
「うん、まあそうだと思ってたよ。宮下君が暴力に頼るって事も考えられないし、あたしだって、そんな事はしない方がいいと思う。絶対。って言うか、そうしても無謀だもん。返り討ちにされるんじゃ、それ復讐じゃないし」
「でも、それじゃ……」
「だからさ、あたしたちだけの復讐をすればいいんだよ」
 偶見の双眼が、三日月型に細められた。元々猫を連想させる面立ちだけれど、今はまるで魔女の使いの様に、何かを懐に秘めた相貌だ。
「……どう言う事?」
「宮下君なら分かるのかな。あたしはちょっと、にわか仕込みなんだけど……、復讐するに当たってのスローガンを決めたんだ。――『真っ赤にのぼせあがった地球に登場して我々が虐殺をまぬがれる唯一の方法は殺戮者にまわることだ』」
「それ、って」
「来月二日と三日、文化祭あるじゃん、うちでさ。そこで」彼女の笑みが深まる。「一発ぶちかまそう。あたしたち流で」


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