ライフサイズ2(掌編/短編)

 淡い夢を見ていた、と言うよりも、私自身が淡い夢だったんだろう。色合い、意識、指先の感覚――指なんてあったかな。今はあるけど。
 もしも夢の対義語が現実なら、それまで私は、やっぱり夢だったんだ。だってほら、不思議な生まれ方をして……とても似ている、夢と私と。
 
「名前をつけてよ、イル。私の名前を」
「私には難しいです。経験がありません」
 大きな道路の真ん中で、空を見上げた。ただ、曇り、と呼ぶには濁り過ぎている。天候がどうであれ、きっとこの辺りはどこも、眺めが悪い。
「あなたの名前は、誰がつけてくれたの? 固有名詞なんでしょ、それ」
「最初の友達です。とても賢い方でした。イル・フォドレ・ランヴァンテは――『〈彼〉を創造する必要があろう』、だそうですよ。それがどんな意味なのか、その人は最後まで教えてくれませんでしたが」
 カチッと、一片の希望をはめ込もうとした様な響きだ。少し嫌った。私はもっと無価値で、役立たずで、何も出来なさそうなのがいい。その人とは違う、無知な未熟児として。
「……ああ。時計、にするよ」
「時計、ですか?」
「あんまり、深く考えたくないし」今の時刻すら分からない、私は――「私の名前は、時計」
 
 全て明確な映像だった。存在している、そんな感じがする。退廃的な灰色の都市、無人、四方を高い壁に囲まれて、現実、世界って凄いところだ。
 大きな機械の隣で目覚めた。形容するなら、転送された、が正しいのかな。何もかもが初めてだけど、私はこのライフサイズ2で、ゼロから生まれた訳ではないから。
「おはようございます」
「……ここは? あなたは?」
「『ライフサイズ2』の中央研究施設、地下一階。私はイル、フレンドボット・ポピュラの、イル・フォドレ・ランヴァンテと申します」
「ライフサイズ2、は、企業か街の名前?」
「世界です」
 地上に出たいと頼み、彼女の案内で歩き始めた。説明のないゲイムみたいだ。「ご覧になるのが一番早いです」。どんなところなのかを尋ねた時の回答はそっけなくて、結局、最も説得力があった。
「何これ。皆、ここで生活しているの?」
「世界には私一人です。今は、あなたが居ますが」
「……」
 とっくに未来が絶たれた後の、空白、或いは真っ黒な時間。だけど終焉は終焉のままで続いていて、多くのものが迎えた筈の運命にイルだけが未だ乗り損ない、私は新たに加えられた。深刻なエラー。逆に、「世界」はよく滅び去っていないものだなんて感心する。
 明らかなのは、まず、ここが確かに現実である事。電力の供給はされていて、死んでいない機械も多少は残存している事。そして私が、取り分け大きなそれの中で育まれた人工人格である事。
 ヒト・コネクトーム、全脳エミュレイション、マインド・アップローディング。仕組みさえ大して理解していない私の過程、生い立ちは、疑い様もなく人の手による。街が形成されているのも証拠として、以前は命の在処だった。
 ぼんやりとした仮想空間から、機械の体に意識を降ろして、私は完了した。正確には、イルが勝手に操作して、現実に呼び込んだ訳なんだけど。
「つい最近でした、地下のあの一室を発見したのは。……私は『人と友達になる』をコンセプトに製造されました。そして、目の前の大きなコンピューターには『人』が居る事を知ったんです……自分の目的を、存在意義を果たしたかった。それだけなんです」
 いっそ全て、壊れてしまった方がよかったのに。イルも限界は近いと思う、だって彼女、私よりずっと昔の頃から、人類と共にあった筈だから。ポピュラなんて愛称もついているくらいだし、フレンドボットだって、他に量産されていただろう。例外に選ばれて、私たち、何をすればいいのか分からない。
「……ねえ」
「ご用件ですか?」
 朽ちるまで。世界が真に、終わるまで。
「名前をつけてよ、イル。私の名前を」
 
 契約みたいに、友達をした。話題は決して多くないけど、どうしようもない街を歩いて、たまに私は歌を歌って。眠りと共に充電を済ませ、また歩く。イルの解説は殆どの場合、かつては、とか、昔、とかの枕詞を伴った。
 何日が経った、と言うのは不明瞭だった。歩き、遊び、また移動して、ご存命のエレヴェイターがあると、建物の屋上へ登ったりして。
「この真っすぐ向こうは、自然エリアでした。あの辺り、とても広いでしょう? その左手側に牧草地。食肉や野菜を一帯で賄っていました」
「何か、滅ぶべくして滅んだって感じ」
「私には分かりません。当たり前ですが、活発な時代もありましたから」
「ここから飛び降りて、自壊しちゃ駄目?」
「時計さんなら信じて貰えると思いますが……そうされたら、私は悲しいです。例え高度ではない、単なる回路のロボットと言えど」
「まあ、そうだよね。……答えたくなかったら黙ってくれていいんだけど、イルの最初の友達は、環境に負けて死んでしまったの?」
「いいえ、出て行きました」
 出て行きました。
「はあ。それは賢い人の婉曲な表現?」
「違います。本当に言葉通りです。囲いの向こう、外の世界へ」
 ちょっと衝撃を隠せなかった。「え、何それ」
「と言うより、皆さんそうなんです。確かに、ライフサイズ2で亡くなった方も沢山居るんですが、そうでない人たちは諦めて、出て行ったんです。東端の壁に、出入り口があって」
 茫然とする。呼称ばっかり立派で、牢獄都市のつもりか何かだったんだろうか。もうめちゃくちゃだ。早く教えて欲しかった。
「イルもついていけばよかったじゃん」
「そこの扉は、近くの施設で操作盤を扱う必要があるんです。開閉を必ずセットで行うので、運転者は出られません。当時の役目は、私が仰せつかりました」
「……呆れた。フレンドボットとか言って生産して、最後は見捨てたの? 揃いも揃って。信じられない。友達じゃないよ」
「いえ、その件の後でした。『最初の友達』、あの人の出身は、時計さんと一緒です。『確かめて来る』と言ってから、戻らなくて」同罪と見なす。
「囲いの向こうに同じシステムは……ないんだよね、じゃなきゃここに居ないもんね」
「来訪者がある場合、こちら側から招き入れる事は可能ですが……」
 にわかに苛立ちが込み上げる。馬鹿だらけだ。イルもだ。大馬鹿。
 目的を、存在意義を引きずっている癖に、甘んじて。人工人格と機械の体の為に悲しめるあなたは、自分の為を思ってあげてもいい筈なのに。地下の研究室を発見したのは最近って言って、扉を任された時に知らなかったのなら。一人ぼっちで、どうするつもりだったの、イル。
 もう、下らない世界の番人はやめようよ。
「その扉、まだ動くって事で合っている?」
「最後に扱って以来、ずっと確認していませんが、故障した記録はありません」
「連れて行って」だって運命は、イルを一人ぼっちにしなかった。「二人で出るの」
 
「うわぁ、本当だ」
 呆気ないくらい、当たり前の様に扉がある。城門、くらいの大きさで、外壁に。
 管理棟は扉と正対する位置になくて、イルも向こうの事は微塵も分からないらしかった。こんな大仰な仕掛けまで作って、なぜ「ライフサイズ2」は、隔離されたみたいな形で存在するんだろう。私はここが初めての場所で、現実の「世界」はそう言うものだと思い込んでいた。イルだって「世界」と呼んで疑わない様子だった。私たちは何も知らない。誰も、教えてはくれない。
「開閉がセット、だったよね。開けっ放しに出来ないの?」
「……どうでしょう。『必要がある』と言うのが、何に対してかによるんですが」
「やってみようか」
 操作は一旦イルに預けて、最も簡捷な脱出を試みる。開いたかどうかくらいの視認は利く角度。確かめるが早いか、イルの手を取った。思ったよりも小さく感じる。
「時計さん、扉は逃げませんよ」
「逃げているのは私たちでしょ」
 駆けつける――ああ、分かりやすい。光源の用意されていない真っ暗な道の先に、もう一つ扉。まるで連絡通路の格好だ。時間での変化は全くなくて、きっとこちらを閉じないと、もう片方も起動しないんだろう。
「どうやら、『必要がある』らしいですね」
「仕方ないか。戻ろう」
 落胆する事じゃない。タイマーか遠隔か、或いはプログラムを改変するか。手段は幾らでもあるんだから。
 管理棟だけの話じゃなく、どうしてか電気自体はライフサイズ2全土に行き渡っている。私たちが間抜けな羽目にならないのは、場所を問わず充電が可能だからだ。気兼ねなく動作の処理を観察して、イルに朗報を伝えるまでは実に数日の工程だった。
「えっ、もうですか?」
「掛かり過ぎたくらいじゃないかな」言っても仕方のない嫌味は、抑えなかった。「『見る人が見れば』ね。テストもしてある、行こう」
 再び、イルの手を握る。彼女から握り返される。大丈夫、一緒だから。
 改めて、そして最後の、忌々しい封印と向き合う。徐に横滑りするそれを待たず、私たちは通路へ押し入った。
 
 永遠とも思える時間が続く。無責任な名前を自分に課したな、なんて、笑いの種にもならなそうだ。鼓動も脈拍も血流もない、繋ぎ合わされた二人の手。暫くして、退路が断たれる。予定通りに。
「……、時計さん」
「どうしたの、イル。怖い?」
「それはありますが、今言いたい事ではありません。ありがとうを、言いたいんです」
「別に要らないんだけどな。でも友達として、受け取っておく」
 不意に通路が赤く染まって、警告音が鳴り始める。不親切だし、目にも優しくない。明かりがあるなら、最初から灯しておくべきだと思う。場違いな感想、どうせ私にとっては、どこも場違いなんだ。これからに相応しい。
 ――扉が、開きます。それこそよっぽど場違いな、時代錯誤と言ってもいい、機械的なアナウンス音声が流れて、
「……え、っ」
 異変が起こる。体はその彼方へ向かう。
 
 やがて違和感は、答えに収束した。
 ――そっか。やっと理解した。
 一瞬の出来事だった。同時に、取り返しのつかない道だった。
 
 ライフサイズ2、諦められた世界と、その外に広がる世界。
 戻らなかった人々と、戻れなかったあなたの友達。
 今、どんな事を考えているのかな。それともあなたは、この世界を知らない?
 ……私も、大しては知らないんだ。賢いあの人なら、何か分かっていたのかもね。
 恨んでいないといいな。もしそうなら、手を離さないで、イル。
 それはもう、声にならない。
 
         x x x
 
 イル・フォドレ・ランヴァンテ。君の元に戻れなかったのは悔まれるし、申し訳ない。もしそう出来たとしても、何をどう、どこまで伝えればいいだろうな。
 全てを知ってからでは遅かったんだ。その光景を見て初めて、私は気づいた。クイズの答えを見てから納得する様に、初めて。
 パラテラフォーミング。惑星上に巨大な囲いを建設し、その中に人間の居住出来る環境を整える。それを少しずつ広げて行く事で、いずれ全体を適応させ、地球化するものだ。
 私は疑って掛かっていたが、君の認識は決して誤りではない。ライフサイズ2は世界だ。内側に居る時は、思いもよらなかった。何せ私は、専門家とは違う。単に、人工人格のベイスとなった誰かが、偶然にも備えていた小さな知識の一部であり、私では、揃っていた情報と結びつけられなかった。世界とは君にとってのもので、私にとって世界とは、地球の事だった。意識に上るまでもなく、あくまでライフサイズ2は、地球のどこかだと信じ込んでいた。
 扉の先には宇宙があり、シャトルの発着場があり、SSPS・宇宙太陽光発電システムの受信局があった。かつての人々は正確に脱出したのだろうし、不注意な私は、だらしなく暗黒の空間を漂い続けている。宇宙はものの劣化が激しいと言うが、未だに。
 あれから、君は一人だろうか。それとも私と同じ様にして、新しい友人を得たのかも知れない。取り出すのが早いと、情報や知識の蓄積は足りなくなると注意はしたがね。あそこはぼんやりとした、淡い夢みたいな空間だ。私もこうして塊として生まれた事が、不思議なくらいには。でもまあ、構わない。私は、充分な友人と呼べないだろうから。
 神と言うものが存在しなかったら、「〈彼〉を創造する必要があろう」。ヴォルテールの言葉だ。よく分からないまま、君は名づけられる事を純粋に喜んでくれた。
 もし再び、叶わないだろうが、それでももし再び、君と出会えたのなら。きっと、告げられるだろう。無限の世界へと放り出された代償に、少しだけ詳しく、賢くなったからね。
 謝りたい事、世界の真実、名前に託した私の願い。全て手遅れだとしても。
 そう、きっと、今なら告げられる。


 あなたには「淡い夢を見ていた」で始まり、「今なら告げられる」で終わる物語を書いて欲しいです。
#書き出しと終わり
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