表現をすることについて

2024年2月、とある韓国語の詩の朗読会に参加した。
詩はあまり読んでこなかった自分。思い切って参加してみた。
それをきっかけに、内なる読書体験を他人と共有する楽しみを知った。
もともと人と関わることは苦手ではないけれども、週5日も他人と効率重視のコミュニケーションをしているうちに、うまく言葉を紡げないようになっていた。大好きな本ですら、あまり楽しんで読めなくなっていた。

詩の朗読会で一文字一文字を丁寧に音に乗せることで、自分の内面の解像度が上がる感覚があった。
その朗読会で出会ったとある人が、丁寧に慎重にガラス細工を扱うかの如く言葉を繰るのを目の前にし、その言葉の美しさにただただ心を打たれた。

美しい言葉を聞いているうちに、自分でも何か言葉を紡ぎだし表現したいという想いが募ってきた。とはいってもまとまった文章を書くことはあまり得意ではない。何を書いたらいいのだろうか。そもそも何か表現したいものがあるのだろうか。内から溢れる感情を表現するとはどういうこうとか。
全く見当がつかなかった。

そんななか、「文学フリマ東京38」に参加してみた。
参加といっても一般来場者として。
出展者の「好きなもの好き」という叫びが詰め込まれたZINEや書籍を手に取ると、表現は自由なんだと思えることができた。
単行本サイズから文庫、手帳型まで本当に多種多様な出版物で溢れかえっていた。頭で難しいことを考えずに、この出版物の海に飛び込みたい、との想いを胸に秘めながら帰路についた。

表現は自由であっていい、そう背中を押してもらった。




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