見出し画像

やりたいことを叶える方法

私のやりたいことはなんだろう
日々脳内に浮かぶ情景を
叶える方法を、私は知りたい

やりたいことを言葉にするのはとても難しいことだと思う。実際、これが得意な人はそんなに多くないように感じる。

やりたいことリスト


独立して最初の頃、私は起業家向けのある講座を受講した。

そこで「やりたいことリスト」を作るというテーマのもと、自分のやりたいことを制限時間内に好きなだけ書き出すという課題に挑戦した。

結果、私は14個しか書けなかった。

独立する際に描いていた目標は、とてもぼんやりとした目標だったため、それをいざ文字に起こそうとすると、ほとんどペンが動かなかったのだ。

「まずはこれを書くことを習慣にするように」

そう言われてから、走り出して
その言語化を意識するようになった。

言語化を意識した結果


それ以来、この言語化を意識するようにしてから5年が経過した。

その結果、どれだけの「やりたいこと」を言語化できるようになったかというと、

実は全然変わっていない(笑)

いまだにやりたいことリストは書けない。ペンが進まないのだ。

どうやら私は「やりたいことの言語化」が得意ではないらしいと気がついた。

やりたいことはある。
イメージもある。

ただ、それを一言や一文にまとめることができないのだ。

私の脳内


私はいわゆる「映像脳」と言われるタイプで、全てを映像として考える癖がある。

思い出や将来の夢も、映像としてイメージされる。

そこには動きや音楽、匂いなど、さまざまな要素があり、それはまるで一つの物語のようになっている。

やりたいことリストの困難さ


やりたいことリストを書き出すということは、私が叶えたい未来のストーリーを、切り抜いて断片的に書くことになってしまい、どうもうまくいかないように思う。

どこを切り取っても、それはごく一部であり、十分ではないのだ。

そう感じるようになってからは、やりたいことリストを書くことをやめてしまった。
けれどやりたいことがないわけではない。むしろありすぎて困るほどにある。

私が叶えたい未来の主人公。
その人を描いたストーリーが、映画のように脳内で日々再生される。
そういったストーリーが、毎日毎分毎秒、いくつもいくつも再生される。

患者さんと会話をした時
家族と過ごしている時
ニュースを見ている時。

「ああ、こんなことを変えたいな」と漠然と感じたとき、その変わった先の未来を映像で見るのだ。

文字でなくてもいい


多くの人は、私とは違い、文字で書いた方がいいかもしれない。

とはいえいきなりやりたいことリストを100個書くなんて無謀な挑戦をしなくてもいい。10個からでもいいと思う。そして書いた後読み返すと、新しい発見があるのだ。

なぜそんなことが必要なのかというと、自分の本心と向き合うためだ。

「いつかやろう」
「いつか行こう」
「いつか買おう」

この「いつか」は絶対に来ない
わたしは「いつ」「何を」したいのか。
その本心を、自分に問い、自分で答える時間が必要なのだと思う。

もし今の自分の生き方、暮らし、環境、そして自分自身に何か葛藤を感じているなら、一度自分に聞いてみよう。

「ねぇ、あなたは何がしたい?」

と。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?