自分のことは見えていない
とあるバス停の近くにゴミ袋が置かれた。誰かが良かれと思って置いたのだろう。しばらくすると案の定、ゴミ袋からゴミがあふれ、かえって汚れた状態になってしまった。数日後、他の誰かが また良かれと思って書いたのだろう。「迷惑ですからゴミ袋を置かないで下さい。」と、その意見には私も賛成だが書いてあるところが問題だ。実はバス停は橋の上にあり、その文字は橋の欄干に直接マジックで書かれていたのだ。そんなバカな、これでは どっちもどっち。いや、公共物に書いた方が更に悪いのではないかと思う。
また別の話、“歩道を歩きましょう”と書いてある看板の前で「歩道を歩かなきゃダメじゃないか」と注意されている人がいる。少し離れたところで見ていた私は、そりゃないよと思った。実はその歩道は2人並んだら ちょうどの幅で、注意している2人組が並んで歩いてきたから、注意を受けている人は前に進めず歩道をはずれて、よけただけの話で、どのロが言っているのと思ってしまった。
次は私の話、最近私は逆走をする自転車にイライラしていた。歩道と車道の間にある自転車専用道路、当然 両サイドにあるので右折する時以外は逆走する必要はないはずである。それなのに皆様、平然とあたりまえのように堂々と逆走してくる。「今度きたら蹴って倒してやろうか」と考えてしまうほど私はイライラが募っていた。そんなある日の夕暮れ時、まさに その道で自転車をこいでいた私は、いきなり歩いている人に怒鳴られた。「ライトぐらいつけろ」と、悔しい私は、自転車の逆走と不点灯、どちらが罪が重いのか調べたりして、ど*うも逆走の方が罪が重いらしい という、訳のわからないことで自分をごまかした。
結局、人は自分のことは全く見えていないんだな―とつくづく思った。それ以来 私は、自転車の逆走にイラつくことは、なくなった。
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