先生とフルートと私 2021.8
先生が『ここ、切れない?』と言った。もっと間を空けられないかと。ソとファにスラーがかかっていて、その うしろにファがつくのだが、“ここ” とは、そのスラーの あとのことだ。スラーのあとに間を入れられないか との先生の指摘だ。実は同じところを何度か注意を受けていて 最初は今回と同じように『間を入れなさい』と、間を入れていくと、今度は『ブチっと切れすぎ』だと、で、中間を狙ったつもりが、今回の『間を入れなさい』に戻った。その旨 先生に言うと 先生は『スラーのソファのファを弱く吹きなさい』と。あ―なるほど、「流れの中で吹く感じですかね。ソファのファが自然と弱くなるような」と言うと先生は 『方向性としては合っていると思う』と。ついでに「ソファのあとのファは弱いままですか?」と聞いてみた。先生は『強くなりそうだから、言いたくないけど ソと同じ強さ、元に戻す感じ』と。
テンポがどうだ、拍がどうだ、強弱、息継ぎ、間、そういう技術的なことに夢中になっていると、もちろん それもとても重要だが、音楽の調べ みたいなものを忘れてしまう。今回は “調べ” を意識していたら、もっと早く気づけたような気がする。
これと似たような感じ。最近 俳句を時々 作るのだが、俳句も 五七五、字余り、字足らず、季語、季重なり、色々ルールがあるが、もちろんルールは とても大事。でも 詩的でなければならないし、季節を感じられなければ俳句でもない。
同じで音楽も技術的なことは大事。でも、調べが なければ 音楽でもないのだろう。それにしても、心地よく音楽を聞く時ばかりか 練習の時も、“調べ” を意識す*ると見えてくるものがあることを知った。
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