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字がへタ、にまつわるエトセトラ

小学校の低学年の時、自転車を買ってもらった。喜んで乗り回していると、誰だったか もう思い出せないが 大人の女性から『えらいわね。自分で自転車に名前を書いたのね。』と言われた。私は何も言わず うなずいた。でも 実は、自転車の前輪のカバーの後ろに私の名前を書いたのは、母だった。母の名誉のため  と思ったか、その時 私は 黙って、私が書いたことにした。この時の感覚、妙に覚えている。私にとって 記念すべき 記憶の中の 初めてのウソだったと思う。ただ、今 言いたいのは私の字がヘタなのは、きっと遺伝だ  と言うことだ。

小学5年の時、放課後 担任の先生に呼ばれた。そして 言われたことは『自分の名前が  こんなにヘタではいけない。練習しなさい。』と、自分の名前をノートに何回か書かされた。ただ 延々と書かされた記憶はないので、いいとこ 10回か20回かというところだろう。それにしても 今 思うと絶望的にヘタだったんだなぁ と思う。
当時は 幼すぎたのか、何とも思っていなかった。字がヘタで コンプレックスをもった とか、居残りさせられて ショックだった、とか。そんなことは 全くなく、それゆえに字のへタ さは保たれた。

中学の時、学校に忘れ物をしたので 取りに戻った。すると 教室で 担任と(ちなみに担任は社会科の先生) 国語の先生 2人が窓に向かって横に並び 話をしていた。教室の扉は開いていて 入ろうとした瞬間、あろうことか 私のことを話していることに気がついた。
『●●さんは、テストをしても答えは合っているけど、なんで あんなに字がヘタなんですか?わざとへタに書いているのですか?』と国語*の先生が 担任に聞いていて、担任は『わざとではないですよ。あぁゆう字なんです。』と話してくれていた。
私は、静かに 後ずさりをして 忘れ物も取らず、その場を離れた。「さすが、“〇先”  よくわかってる。よくぞ わざとなんかじゃないと言ってくれた。」(担任の あだ名は、名字に先生の先の字をつけて  “○先”  と呼ばれていた)
心で担任に 感謝しながら家に帰った。
(それにしても あまりのタイミングに、この時のことは 今でも 夢じゃないかと思ってしまう。)

時は立ち、就職の面接会場、面接の終わり間際に面接官2人が 私の履歴書を見ながら 私をよそに、話し始めた。『これからでも 字はうまくなるのかね?』もう1人が 『えぇ 大丈夫でしょう。』、それを聞いていた私は、心の中で「それ以上は ムリですよ。その履歴書、私の渾身の1枚ですから」とつぶやいていた。
面接の結果は無事合格。それから  うん十年、ありがたいことに、その会社に いまだ勤めている。

今日こんにち、字を書く機会が減ってきている。
これからは、字のうまい・ヘタは  問われなくなるのだろうか。もう すでに問われないのかも。それでも、私にとっては 字のうまい人はかっこいい。ヒーロ―に近い。


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