先生とフルートと私 2021.9
『置くのは、なし になった?』と先生は言った。「うん?」 ピンときてない私。続きを聞くと、曲のあちこちに出てくる スラーの後の1音、スラーの前の1音、その1音を 置くように吹きなさい ということらしい。
ふと、もしかして、ものを書く時と似ているのではないかと思った。あまたある言葉から ふさわしい言葉を選ぶ、語順は? “てにをは”は? 一言一言、言葉を置いていく。
音楽も 音に意味があり、ふさわしい音を選ぶ。細心の注意を払いながら 一音ー音、音を置いていく。
言葉の方は この作業、苦じゃない。どころか楽しいぐらいだ。時間を忘れる。ああでもない こうでもないと、自分でも バカ じゃないかと思うぐらい 何度も何度も読み返しては言葉をいじっている。
ところが 音の方は、そうはいかない。一音一音 置いていく感覚になったことがない。何度も何度も吹き直しては音をいじっている。なんてことには、どうしてもならない。悲しいかな、ああでもない こうでもない とはいかないのだ。これが 得手、不得手ということか。
先生は おそらく、一音ー音が気になるだろうし、音を置いていくのが苦どころか 楽しい時間に違いない。もって生まれた私の脳は音楽脳ではなさそうだ。それでも なんとかしたいと思っている。
これなんだよなあ。なぜか 横道にそれる。音の話ではなく、脳の話になってしまう。なんとかしたいと思っている場合ではなく、とっととフルートを持って吹け ということなのに。悶々とする時間が長い。結果としてフルートを持って吹く時間が短くなる。自分でも バカじゃないかと思うぐらい、フルートを持たず *ああでもない こうでもない うだうだと。
ああ、何でも いいから フルートを持って吹け!私、
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