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マイストーリー第3話「僕はお菓子の国の王子様、あなたはお菓子の国の王女様」

第1話はこちらから⏬

第2話はこちらから⏬


兄は事故に遭い、
今夜が山だと告げられましたが

なんとか命を繋ぐことができました。

しかし、意識が戻っても
母に向かって
「僕はお菓子の国の王子様、あなた(母)はお菓子の国の王女様」
と言ったり
「僕の体にはお菓子がいっぱい詰まっているから触らないで!!」

と、以前の兄ではなくなってしまいました。😢

私も毎日母と病院に行っていましたが、小児科なので子どもの私は入室できず待合室で待つ日々。「りぼん」「なかよし」「ちゃお」を全て買い与えられ読破する日々。笑

お弁当袋が大好きなマーマレードボーイ❤️

兄は約3ヶ月に渡る入院生活を経て、リハビリも頑張り、日常生活に復帰することができました☺️

兄が入院中、ずっとママチャリ族だった母はこれから通院などもあるだろうからと、39歳で運転免許を取りました🚗👏
毎日兄のお見舞いをしながら勉強し、教習所に通っていて
正直、「車」という乗り物に子どもが轢かれたわけですから、「車の免許を取る」ということはとっても怖かったんじゃないかと思います。

しかし、チャレンジする母の姿を見て、
「大人がチャレンジする姿ってめっちゃかっこいい✨」と思っていました🎶

※母は免許とって1週間後には仙台の街中(国分町?)に飲み会後の父のお迎えに行った強者です。笑


「大人がチャレンジ」
私は子どもの頃、大人のこの姿を見るのが本当に好き、というか憧れを持っていました。

私の父は公務員でした。公務員というとおかたいイメージですが
父はめちゃくちゃ多趣味でして、父がずっと憧れていた「サックス🎷」を習い始めました。

家ではジャズやフュージョンを聴きながら育ちました🎶

特にケニーGのソプラノサックスの音色が好きだった🫶🏻

大人でも趣味があるって楽しそう〜〜〜!!!
私もピアノ以外の楽器やってみた〜〜〜い!!

そんな自分は思っても行動にはうつさない、無趣味の小学生時代でした。笑

小学生の時はやはり兄に手がかかっていたので
私がしっかりしないと、という意識もあり、あまり自分の気持ちを言ってこなかったかなぁ?と振り返ると思います。

バスケやりたい→ピアノ習ってるから怪我したら大変でしょう。
水泳やりたい→冬はプール寒いんじゃない?(温水だけどww

ってわがまま言ったこともあった気がするけど
自分がやりたいことというか、今考えると周りの友達がやっていたからっていう理由で言っただけですね。笑

唯一、踊るのは本当に好きだったような記憶はあります。
当時は今のようにダンススクールなどもあまり無く、
クラブ活動でダンスをやっていたぐらいでしたが😅

なので自分の子どもにはやりたいことをやってほしい!!という気持ちが強く
子どもたちにはやりたいことは全力で楽しみながらやってほしい、こちらは応援するよというスタンスでいるし、チャレンジしてみなさい〜^^といつも思っています。(習い事の送迎大変ですけど、なんとかするのが私の仕事です♡)



さーて✨
次回は中学&高校時代に突入いたします!!!

第4話「人生で6年間しかできないこと」

明日の21時にまたお会いしましょう〜〜〜👋


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