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リレー

椅子に深く腰かけて

下品な手の叩き方で笑っているやつがいる

耳と目を塞いでみたら、流しに出し忘れた皿にこびりついた醤油の匂いに気がついた

この立ちゆかない現状はやはり僕の幼さに起因するものなのか 
はたまたサイコロの目が何回振っても7にならないのと同じことなのか俺にはわからない

虫のようにただ黙って、日差しの下でも洞窟のなかも、分け隔てるなくどこまでも歩いていくつもりだったのに。



先週のことだ。電話が一本かかってきた。

「阿部くん、あたしだけど。どうしても聞いてほしい話があるの。今すぐ。お願い。」

信心深い少女だと記憶している。中2の同じクラス。まさか連絡が来るなんて思っていなかった。
僕は固唾を飲んで彼女の声を聞き続けた。

「同じクラスだったときさ、M君ていたじゃない?彼、亡くなったらしいの.....」
「S高出て、そのまま就職したらしいんだけど、
職場でいじめられて、」
「いつも休憩時間にトイレで吐いてたんだって。丸2年耐えて、でも1ヶ月前に、急になんか吹っ切れた感じになったらしくて。」
「まわりのみんなが安心してたら、昨日お風呂で手首を切って、そのまま.......」

震えが止まらなかった。汗が止まらなかった。
Mは中学からずっと学級委員長をやっていて、あまり頭は良くなかったが底抜けにまじめで、大学受験で第一志望にいけなかったから、私立に行かず、きっぱり辞めて働きに出ることを決意した。
美しい目の色をしていた。彼の目が濁ることなんて、想像だにしなかった。

彼が勤めたのは、県の南西の製紙工場だ。
営業の仕事に就いたと聞いた。時々駅のホームで彼を見かけて、話しかけず帰ったこともあった。


工場の名前は、「阿部製紙株式会社」という。


「それでね、今度お通夜が開かれるんだけど、
阿部くんにも言っておこうかなって思って。同じクラスだったわけだし、それに.....」

たまらず電話を切る。ダメだ。もうダメだ。
目の焦点が合わない。赤から黄のグラデーションに染まった空の真ん中で夕日がこちらを見ている。左右にブルンブルン震えて、僕は立っていられない。


だって。だってそこは、俺の父さんの会社なんだぞ。俺の父さんは、何を、どうして、
俺の、同じクラスのMがウチに来たって、浪人が決まった俺に話しかけてきたのは、たしか父さんだったじゃないか。

リレーのアンカーで、Mは足が速かったから、中3の時、運動会でみんなをごぼう抜きにしたんだ。俺はそれを、熱中症みたくなってしまって、保健室の窓から見てて、そん時の俺は担任から進路のことでひどいことを言われて、気を病んでたのは、それはそうかもしれないけど、
俺は保健室の白い窓から、アイツを、アイツをみとめて、

「死ねばいいのに」

ってたしかに言ったんだ。真っ青なシーツを握り締めてひとりで泣いたんだ。アイツの人生を、俺は送れないと泣いたんだ。なのに、どうして。

父さんのことを尊敬していた。小さな会社だから、ほとんど休みはないようなもので、いつも22時半にならないと帰って来ない。僕ら兄妹の食べたメニューを母さんがチンして、黙ってそれを食べる。
タバコは俺が2歳のときにやめた。やめてからの3年くらいは時々吸いたくなる時があって、ベランダの手すりにもたれかかってタバコを吸う父さんを覚えている。

「人生はな、どこにピークをもってくるかで決まんだからな、勇太。俺は高校で悪い先輩と遊んでしまった。その3年間はかけがえなく楽しかったし、まったく後悔はしていない。

でもな、仕事の関係で大学の図書館に俺は行ったことがあるのさ。蔵書の多さに俺は眩暈がしそうになった。天井まで本が積まれた空間が、お前のクラス5個分くらいあって、しかもそれはひとフロアぶんの話さ。それが4階になって重なって、音もたてずにひしめきあっているのさ。この本の山に囲まれながら、時には仲間と酒を飲みバカをやりながら、最高の4年間を過ごせたら、どんな人生だったろうと思ってしまうことがあるんだ。

どちらでもきっと正解なんだ。人生がゆっくり閉じていくとき、後悔なんてするはずもない。でもな、ピークの直前で最良の選択ができなくなってしまったとき、人は壊れてしまうことがある。よく覚えておきなさい。俺はな、勇太、金なら出してやれるからな。」

100人規模の小さな会社だ。父さんがMの死に関わっていないはずがない。あの言葉はなんだったんだ。なぜ連絡をよこさなかった。どうして。父さん。浪人が決まった人生最悪の日。その一言がなければ、俺も諦めて就職していたかもしれない。Mと同じ道をたどっていたかもしれない。あの言葉は、確かにあなたが言ったのに。

涙でぐしゃぐしゃになった僕は、気づけば川沿いを歩いていた。底の深くて水のほとんどない、用水路みたいな川。飛び込んでしまえばいいのか。もう誰の言葉も信じられないような気がした。
この身体も、取り返しのつかないくらいに汚いとしか思えなかった。水がほしい。喉が潰れる。このまま涙を喉に詰まらせて、それで死ねたらいいけど、もし生きのびてしまったら、俺はもう人を傷つける言葉しか使えないと信じた。


今度はLINEの通知音が鳴る。俺に連絡する者などほとんどいないから、彼女からの連絡に決まっている。先週、ゼミの選考のことでピリピリしていた俺の彼女への態度のことで喧嘩になり、1週間連絡を取れていなかった。

画面を見るのが怖い。もうこれ以上、俺を傷つけないでくれ。悪かった。俺が悪かった。別れるならもう今すぐ別れたっていい。俺と付き合うなんて、到底無理な話だったのだ。俺の身体に綺麗なところなんて一つもなかったんだ。俺の手も、口も、血までもが、俺を否定し蝕んでくる。時間の問題だ。やめてくれ。これ以上、ほんとうに、
ああ誰か助けてくれ、殺してくれ。

「お誕生日おめでとう。今日、これから家に泊まってもいい?」







今日、俺は自分が21歳になったことに全く気がついていなかった。4月12日。遅咲きで満開になった桜のなかを、摂氏15℃の冷たい風が通り過ぎた2003年4月12日。それが俺の誕生日だ。







「なんで誕パを1週間後にやらなきゃいけないわけ?今日、バイト切ってきたんだけど。」

ガチャリとドアノブをひねる音がして彼女が入ってくる。手に提げたビニール袋のなかには四角い清潔な箱。いつもは履かないヒールを脱ぎ捨て、廊下とも呼べない短い廊下を、摺り足でこちらに向かってくる。

「なんでひろゆきなんか見てるの?まえに嫌いだって言ってたじゃん。」

彼女がテレビを消す。音はもうどこにも鳴ってはいない。部屋のまんなかの背の低いテーブルに、どかっと彼女がケーキを置く。

「誕生日おめでとう。あと、ゼミの合格のお祝いも兼ねて。ローソクも買ってきたから。ちゃんと吹き消すんだよ、火」


はっぴばーすでーとぅーゆー

はっぴばーすでーとぅーゆー

はっぴばーすでー でぃあ勇太あ

はっぴばーすでーとぅーゆー

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