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学びのガソリンは好きだけだ

もうすぐ3歳になる子どもが鬼タイジを大好きだ。

2歳児の大好きなんてたかがしれている。

と思われるかもしれないが、鬼タイジへの愛を比べる大会があれば、地区大会では収まらず、県大会へ駒を進める程度は好きだろう。

彼の朝は早く、毎朝父母が起きる前には覚醒しているようだ。しかし、優しい所もある。寝ている父母を自身の欲望を満たすために起こしたりはしない。

寝ながら足を開いたり閉じたりを永遠に繰り返しているようで、布団とズボンの擦れる「シャカ、シャカシャカ」という音に起こされる。

父母が目を覚まして寝返りを打った時、はじめて彼は動き出す。
ターゲットに近づき、耳元で「鬼タイジ見たい」と言うのだ。

決して言葉の発育の早くない、まもなく3歳児の語彙である。何のことかわからない言葉も多い中で、これだけはっきり自身の要望を伝えられる言葉は少ない。

この生活が6月頭ころから続いていると言えば、県大会出場を疑わぬ実力も納得していただけるだろう。ちなみに彼が鬼タイジを所望するのは朝のみでなく、保育園から帰ってきた後も、お風呂から出た後も、寝る直前まで許されるならば鬼タイジを視聴している。


生活のみでなく、言葉についても語らせてもらえるならば、彼の限られた語彙の中には「エレベーター」「手先」「(高橋)光臣」などが含まれている。

お子様プレートを食べている時に、それだけなら大好きなんだけど、嫌いなケチャップがついてしまったポテトをゆびさし、悲しそうな顔で「オムライスついてる〜」という語彙力の中で、

「手先」なんて言葉は日常、保育園生活の中で出てくることはないだろうし、混同しやすい「エレベーター」がなにか、理解できているのは鬼タイジのおかげ以外ないだろう。


と、前段が長くなってしまったが、子の姿を見て思うのである。

好きってすげーな。

と。

3歳目前の子どもは、話しかければだいたい意思疎通はできている気がする。しかし、自身から発する語彙に関しては増えるペースはゆっくりな気がする。

そんな中で、加藤浩次さんや高橋光臣さんを見て、困った時には「ヤバい、ヤバい」と言い、遊びの中で「ボタンぽちっ!弱点は?」などと口にする。

鬼タイジに登場した言葉というのはかなり効率的に彼の辞書に採用決定しているのである。


子どもの姿を見てダイレクトに感じたわけだが、これは中高生や自身の学びを振り返っても同様である。

学べるのは好きな時だけなのだろう。
好きが限定的ならば広く興味とも言えるか。

学生時代学びが捗ったのは好きな科目や、知識を得ることが楽しかった科目だ。良い成績を褒められ、続ければ次も褒めてもらえるかも。なんて思った科目もあるかもしれないが、それも先にある報酬により科目に興味が沸いたのだろう。

他方、成績が悪かった科目を振り返ってみると、もともと嫌いだった。というよりは、現在でも覚えている印象的な知識もあった一方、どこかで躓きその先がわからず学びへの興味が失われたようなことを思い出す。

少しそれたが学びは好きの中にある。

むしろ好きしか学べない。

子どもにはこれからも様々な好きを見つけて欲しいなと思うし、
好きや興味を刺激できる学びを届けて行きたいと思うのだった。

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