足掛け6年の相続遺産整理のおはなし

遺産相続では、お金は欲しいが他はいらない!というのが大雑把な世間の見方だと思うし、実際そうなのでした。

父が死に、母が死に、残る兄妹で遺産を分けました。妹には子どもがいないため、将来ウチの子がこの家を使うかも!?と私は考え、妹はお金を、私は旧実家の不動産を主に相続すると分割協議で合意しました。しかし今でも思うのは『やはりお金の方を相続すれば良かった』。これは本音です。

不動産は、その名のとおり簡単には動かせないものだけに、所有となったら固定資産税がかかるし、ときどき行っては掃除しなければなならい都合上、光熱費や交通費などで毎年の出費は50万円にもなりました。

さらに第二の自宅にしようと、リフォームにもお金かけたら、結婚した子達夫婦がそこに住み始めることになりました。

これで相続物件は一見無事に使い道ができましたが・・・考えてみればそこまでお金使うのなら、お金の方を相続し、「これで好きな家を買う足しにしてね」と子達夫婦へ住宅取得のための資金援助(贈与税免除の特例枠がある)した方があと腐れなくて良かったかと思います。

また、不動産を相続するということは、その家の中には多くのモノが残されているわけです。ふつう家を相続したら一緒についてくるこれら数多くの遺品を処分しなければなりません。「お金を相続するか、家を相続するか」このような遺族間での丁丁発止の後、結局家を相続した人のために、

「あーあ、、実家なんか相続しなけりゃ良かったなぁ」とか、
そんなに嘆かなくてもいいですよ!という話しを今日は書こうと思います。

相続した家の使い道には「夢」がある! ただ何ができるか知らないだけ

相続する家は古い家が多いでしょう。なにしろ親の家だから「亡き親父が60年前に土地買って建てた家」とか。そんな古物件は売却すると多額の税金がかかる場合があります。私の相続した不動産は60年前の取得価格が50万円、今の相場ではザックリ2000万円。相続直後は「いっそ売って現金化!」と考えましたが、もし売っていたら1950万円の所得になるから、これに20%の税金がかかると言われました。その額およそ400万円の税金。払いたくないから売るもんか!。

賃貸業者のチラシもだいぶ見たけど、貸したら僅かな収入はあるだろうけど、私自身はもうその家には近づけもしないことになるのでコレもやめ。子どもはほんとうにここに住んでくれるのかどうかまったく分からない。結局は「自分で使おう!」と決意しました。

相続した家の後片付けで分かった「故郷への旅行」のありがたみ

相続した当初は、義務のように3か月に一度ぐらい空き家に通って掃除と遺品整理をしていました。老いた親は隅々まで掃除できないから家のあちこちに埃が溜まってカビも生え、マスクしなければ気管支炎になりそうでした。

そんな旧実家通いの合間に、高校時代の友人や、前職の会社の同僚にメールや電話して会ってみることを始めました。これけっこう予想以上に楽しかったです。懐かしいというよりは、みんなそれぞれ仕事を変わったり、自分でお店を始めたり、海外に行くこと頻繁だったりと、いろいろニュース満載なのでした。

私に向かって「その後はどうした?」という話しになると、私は52歳で会社生活を辞めてその後は自由人暮らしだから、最初はどれをどう思われるのかと一抹の不安もあったけど、同年代はいまちょうど65歳少し前だから、会社を辞めるとどんな生活?という話題に興味が高まっている「話題の旬」な時期なのでした。

だから何回通っても、何人に会っても、話す話題は尽きず、毎回「故郷に帰る旅行をするのもいいなぁ」という気分に浸れるので、それができる旧実家は、故郷への旅行の基地に成り得るということが分かってきました。

家を別荘仕様に模様替えする必要がある

故郷に旅行するための基地としての旧実家。こう考えると「ここに時々来てみよう!」と明るい気分になりました。できれば毎月1週間ぐらいはこの家に寝泊まりして友人に会って楽しもう!という魂胆が芽生えたわけです。

そのためには住めるように工夫しなければなりません。毎日ここで暮らすのと、ときどき来て何泊か寝泊まりするのは同じではありません。食料は毎回使い切る分だけ調達して使い切らなければならないし、不在の間に異常を起こすかもしれないガスボンベとか鉢植えの観葉植物とかは撤去必要です。僅かな水漏れや電源切り忘れも不在中の心配の元になります。

なので、不在中は電気も水もガスも、全部元栓やブレーカーを閉め、それでも大丈夫なように、調味料や庭の鉢植えも含めて自家用車で運び出しました。たぶん留守番の人までは雇えない人が、もし別荘を持ったら同じことが起きるんだろうな、と思いました。

遺品の家具は半数が、家電はほぼ全部そのまま使える

しかし、遺品の整理は実にたいへんです。親の着ていた服や趣味のもの、本や食器などわんさか捨てるモノに溢れていました。毎回通う度に分別してゴミ袋に詰め込み、車に乗せて市の集積場に持ち込んで捨てるを繰り返しました。

業者を呼んで、トラックで全部を廃棄物処理してもらえばいいじゃないか、と妹は言ったけど、計算したら分別ゴミで出し続けた方が安いことは目に見えていました。

捨てるかどうかの判断は、この先に自分がここにときどき来て何泊か寝泊まりするために必要かどうかで決まります。

家具は半分ぐらいは残すことにしました。ベッドやテーブルやイスなどはかなり老朽化していたけどまだ使えましたし、使わなければなりませんでした。洋服ダンスはさすがにこの家に住みつくわけではないから、解体して廃木材として市の集積場に持ち込みました。大型ゴミで出すより解体した方が処理費が安いからです。

電化製品は大半を残しました。捨てたものはほぼ無かったと思います。このとき気づきましたが、家電はかなり高額の「いい品」をたくさん親は持っていました。理由はどうも、亡き母の御用達の街の電気屋さんが「これはいいですよ!」とその高機能&高額家電を強く勧めたからだ! コレに違いないと思いました。何しろ私の親には使えない余計な機能が付いた製品が多すぎるんです。こんなに高機能なモノは要らないはずなのに・・・
電気屋さん、おぬしも悪よのう。。

でも私がの滞在するときには、大画面の未使用だった録画装置付きテレビなどが便利に使えたので、結果まあいいかと。

「思い出のモノ」は、見慣れたら捨てやすくなる

何度も旧実家に通いながら遺品を整理するのは、使うものと捨てるものを合理的に仕分けするために良いやり方だと思います。

遺品は全部要らないような気がするし、でもひとつひとつ見ると思い出があるモノが多くて、そういうモノは捨て難いです。しかし思い出のモノも通いながら何度も眺めている間に執着が薄れて、捨てやすくなってきます。そういう時が捨てのチャンスです。

空き家の持家を、ときどき掃除に来るならばNHK受信料は無料とか

住んでいない家にときどき通って整理や掃除をする場合、電気や水道は使えるようにしていないと不便です。さらその家が遠くにある場合は何泊か泊まらないといけないからガスも使えないとダメでしょう。

結局そんな具合に光熱費は住まなくても掛かります。これらは相続して分かった必要経費です。もし最初から分かっていたら遺産相続する際に兄妹でそれも含めて遺産分割できたのにと思いましたがもう手遅れでした。だいたい年間20万円ぐらいは不在中でも基本料金とかでかかる光熱費だったのです。

他の経費も節約しなければと思い、テレビを自分の住む家に持ち帰って無くしてしまい、NHK受信料を払わないでいいようにしようとNHKに電話で言ったら、本拠地で受診料を払っていて、ふだん空き家になっている持家の掃除のためにときどき来るぐらいであれば、その間は受信料なしでテレビ観ていいです」と許可を得ました。コレ勝手に無許可で観ていいかどうかは分かりませんが、事情を言えばこのような配慮はできるようです。

意外なことに、捨てるつもりだった亡き母が買った日用品は、ほぼ全部が使えた

例えば食器棚の引き出しから出てきたサプリメントとか、栄養ドリンク。母が飲んでいたものだから捨てようと・・・だけどちょっともったいなくなって自分で飲んでみたら、意外に自分の体に合ったんです。たぶん親子だから体質が似ていたからではないのかな?

さらに洗剤やトイレットペーパー、タオルや洗濯物干し、鍋釜に湯たんぽなどなど、どれも私がときどきこの家に滞在する間の必需なものですが、それらは全部がしかも豊富に買い置きしてあったから、母の他界から3年間はあまり日用品というモノをこの家で買うことなく、しかも不自由なく、探せばえんぴつもノートもハンコも頭痛薬も、何でも揃う便利な滞在基地になっていました。

やはり親子というのは以心伝心で欲しいモノは揃っていて、便利な存在だったんだなぁと、そのときは母が懐かしくなりました。

ボロ家であれば、自分でリフォームもやり易い

家具や生活するための日用品は問題無かったものの、家自体はリフォームする必要がありました。一階の和室の畳下床が腐っていたからです。畳をめくって下を調べたら素人目にも「手抜き工事か?」と思えるような箇所がありました。これを建てた住宅業者も悪よのう・・・

これは放置できない問題だと思いましたが、その時点ではこの先本当に私の子がこの家に住むのか、あるいはもう住むことが無くなり売りに出すことになるのか判断がつかなかったので、お金はかけたくないため最低限の手直しは自分でやることにしました。

畳の張り替えもお金がもったいないと思い、畳を捨て、下の腐りかけたコンパネ床に消石灰を撒き、手抜きの床下柱をちゃんと立て替えて、畳の代わりに同じ厚さに角材でかさ上げしたコンパネ床をもう一枚自分で張り、安物カーペットをその上に張りました。これで住み心地はずいぶんマシになり、それまで夏になるとカビ臭くて困ったのも解決できました。

二拠点生活は現世を生きるための「逃げ道」に役立つ

こうやって私は1月か2月に一度は相続で手に入れたボロ屋の旧実家に足を運び、一週間ほど滞在しては友人・知人と会って飲んでの楽しみをするようになりました。

なんとなく二拠点生活が板についてきました。
このような暮らし方をするための費用は1年でどのぐらいかかるか、ザックリ50万円ぐらいでしたが、向う何年かはその50万円で1年間づつ楽しめると考えたら楽しく明るい気分にもなりました。

さらに、二拠点生活は地元に縛られるリスクを減らせられるという効能もあることが分かってきたのです。自宅のある地元には町内会がありまして、当番で役員がまわって来るわけです。たまにならいいのですが、最近では町内会を辞める人が多くて役員当番が短いサイクルでまた回ってくるようになってしまいました。さらに私の年齢も町内会長適齢期となり白羽の矢が立たないとも限りません。それで二拠点生活者だから、ということを理由にして町内会を辞めました。

「自粛なので」が最近のお断り理由になるとネット記事で読みましたが、「二拠点生活者なので」も理由にできます。

場合により夫婦円満

会社生活を辞めたあとの暮らしというものは、毎日夫婦が顔突き合わせて暮らす日々です。これ大丈夫ですか? 大丈夫なわけないでしょ!

しかし毎月1週間は夫婦が会わないときがあったらどうですか? そりゃ気が楽になるわ! そういうことだと思いました。それで積極的に私だけ単身で相続で手に入れたボロ家の旧実家に引き籠り、友人達と飲み歩きの日々・・・と言っても毎日そんなことばかりしていたわけではないですが、とにかく羽広げてリラックスできていました。この日々は良かったです。ほんとうに。

無償貸与も一考の価値がある

そこに事件が起きました。知人のある夫婦が「急いで部屋を貸して欲しい」と言ってきました。その夫婦は乳児をかかえ、のっぴきならない(どうも実の親によるバイオレンス??)理由により即刻住める場所が欲しい、しかもできたら無償で!!お金が足りない!という切実なものでした。

ひとつ返事でOKして、自分で修繕した床の一階の部屋に無償で住んでもらうことにしました。その代わり普段の生活の光熱費はその夫婦持ち、私はその夫婦に事前連絡した上で、その家に通って行くことにしました。

その夫婦は1年間は経たないうち地方へ引っ越して行きましたが、引っ越すまでの間、すくなくとも光熱費は私が払う必要がありませんでしたし、家の掃除や空気の入れ替えもしなくて済みました。つまり留守番をタダでしていただいたような感じ。彼ら夫婦はお金が不足の中で賃貸料無しで足掛け1年間住め、私はタダで留守番をした上に私の泊まる日の光熱費を負担していただけた、こういうwin-winになれました。

無償で家を貸すというのも場合によりメリットがあるのだなぁと思ったときでした。

近い場所なら仕事場、アトリエ、趣味の部屋に

私の持つ相続で手に入れたボロ家の旧実家は本当の自宅から500キロも離れているから月1回通うのが精一杯です。もしバスで30分とかの場所にそれがあったなら、きっともっともっと活用できていたことでしょう。

まさに自宅の離れ、第二の自宅、このように自宅とほぼ一体で活用できたと思います。

逆に遠い場所なら、災害時の避難場所に

地の利を活かすなら、西日本で被災したら東日本のもう一軒の自宅へ逃げ込めるというのが実際これからあるのではないか?と考えていました。


そのために、ボロ家の旧実家をもう少し住みやすくして、私だけでそのボロ家に滞在する楽しみを独占することを諦めて、私と妻とで二つの自宅を行ったり来たりする生活にするため、内装に思い切って金かけたリフォームを執行しました。

内装は見事に見違えるほど美しくなりました。

ただ外回りは何も変えませんでした。外から見たらやっぱりボロ家、ただし中に入ったら新築みたいな家が完成しました・・・
そしたら子達夫婦が「ここに住みたい」と言って来ました。

これで一件落着。元々目論んでいた「相続した親の家に子達夫婦が住む」が実現してしまいました。それはそれで良かったのですが・・・

私がそこの至る過程で考えて工夫して行動して得た、故郷へ旅行する基地にする計画は頓挫してしまいました。

もう近々そこで孫が生まれます。めでたしめでたし。

私はこれから何しましょ??






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