派閥、身近なところで幸福感の源に

会社を辞めた生活で、どのように幸福な生活ができるか追求してきました。これまでに、どうも幸福感をもたらせるのは自己満足と、対人的な満足の2種類あり、対人的に幸福を得るには、意外と今まで無視し続けてきた派閥というものが役立つのでは?という気がしてきたので、今日はこれをnoteしようと思います。

私は会社員時代を思い出してみると、お互いに上手くやれた仕事の同僚がいたときと、支持できる考えや行動をする上司がいた時は幸福感が高いと感じましたが、一方でその幸福感の高かった仕事の内容が、もともと自分で目指していたものでは無かったことに気が付きました。その仕事をやる前の気持ちは「そんなもん、やるの嫌だな」だったのです。

話しは飛びますが、
最近ネット記事で「すべては、その人がどういう人間であるかにかかっている」というV・E・フランクルという人のメッセージを読みました。出典は(V・E・フランクル『それでも人生にイエスと言う』山田邦男・松田美佳訳、春秋社)だそうです。

V・E・フランクルという人はナチスの強制収容所に送られ、そこでナチスの親衛隊員の収容所長が内緒で自分のポケットマネーで収容所送りになった人のためにと薬を買っていたのを知ったらしいのですね。ふつうナチス親衛隊は囚人にこんな親切なことしないだろう人物がです。一方では当時の自分と同じ立場の囚人が仲間を虐待していたことも知ったそうです。
この出来事でV・E・フランクルという人は、幸福かどうかはその人がどういう人間かだけにかかっている、という結論に行き着いたそうです。

これに少し想像を加えると、もしV・E・フランクルという人が上述の収容所長のような人物に囲まれて暮らしていたら、状況は囚人という最悪でも幸福感は低くはなかったということになります。つまり自身の幸福感を高めるような思考や価値観や行動を持っている人が身の回りにいる、これは「派閥」と言える思いますが、この派閥が自分の幸福感の源になる。そう考えておかしくないのではないか、そう思いました。

前述した私の会社員時代で幸福感が高かったときは、気の合う同僚や上司とミニ派閥ができていて、少し精神論ぽく言うと、各人が仕事で幸福感が得られるように支え合える体制ができていたと思えるわけです。

しかし派閥は派閥争いの源でもあります。
件の収容所長の行動から推測すると、もし囚人にポケットマネーで薬を買い与えている現場を別のナチス親衛隊に見つかったら間違いなく抗争になるでしょう。派閥は他の派閥とパワーゲームをして勝った方の派閥構成メンバーが幸福度を高めるという構造をしているわけです。

ミニ派閥は、自分の記憶の中を探してみると身の回りにけっこうたくさんあります。
日常生活のご近所さんの中でも気の合うお友達がいて、その中では誰とでもまんべんなく仲良くしているわけではありません。ひと握りの仲間内だけ非常に仲良くしているのが実勢でしょう。これは派閥なんだろうと思います。その派閥だけ集まって話ししているところを盗み聞きすると口調も変わっていることにも気が付きました。特に誰かの陰口の話題になった途端にもう・・・。

一方で、参加しているサークルや地域活動で、親切で良さそうな人だと思っていたのに、実は陰で批判を口外していたことが暴露されたり、マジメそうなのに実は資金をちょろまかしていた事実が発覚したとか、それまでのその人に対する印象が私の中では崩壊する事件がありました。これがV・E・フランクルの言う「どういう人間性」が判明したときです。おそらく想像するに、これら批判や資金ちょろまかしをする人は、私が属さない別の派閥のメンバーだったと想像します。

今日、そんなことを考えて、頭の中でいろいろまとめをしてみると、
自分の幸福につながる人間性を持った人と、意識的に派閥を作って持つべきだと思いました。今日から意識してそうしようと思います。

派閥は派閥争いの源だと書きましたが、仮に争うにしてもいろいろ方法があって、ののしり合うばかりが争いではありません。派閥を意識しても決してそれを他に見せつけず、他の人がその派閥に追従したくなるように活動を意識的にリードして行けば、他の選択ができないようになって盛衰を決着させることができると思います。

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