「再考」中の目標 その9ー④ まとめ

 その9とその9ー①からその9ー③まで、保育士試験と私の原点である「臨床心理」「言葉」「音楽」のつながりについて整理していきました。その9でも書いたように、保育士試験は『楽しかった』ですし、その最大の理由は若い頃からの自分の原点である「臨床心理」「言葉」「音楽」にありました。そこで、もう少しこの3つの原点を振り返りたいと思います。
 保育士試験を終えてから、私はこの3つの原点が私の人生を形成していることに気づきました。私は現在49歳で、「臨床心理」は20歳の頃からですから29年間の付き合いになりますし、「言葉」は中学時代(13歳)からですから36年間、そして「音楽」は中2の頃(14歳)からですので35年間の付き合いになります〔「臨床心理」に関しては、高校の頃の図書室通い(17歳から)も含めると32年間としてもいいかもしれません〕。いずれも30数年間、私の人生に関わってきたのです。「臨床心理」「言葉」「音楽」ーこれら3つはこんなにも長い年月、壊されることなく私の傍にいたのです。そう考えると、凄い発見ですし、今後の人生で大事にしていきたいと思うに至りました。
 以上のことから、「再考」中の目標を考えてみると、「臨床心理」「言葉」「音楽」をいつも大事にしていけるようにすることが、私の最大の目標になるでしょう。そのためにはどんな環境が最善かを考える必要があります。例えば、私には保育士の障害者雇用(保育園)の話もあります。悪くはないと思いますが、現時点では行かなくてもいいかなあと考えています。やはり何より、私なりに「臨床心理」「言葉」「音楽」を楽しんでいきたいと考えていますので。
 
そう言えば、今回の保育士試験以外にそのような経験をしたことがあるだろうかと、ふと思いました。実はありました。それは私が社会人3年次編入した大学で執筆した卒業論文(以下、卒論)でした(35歳)。そのタイトルは『グスタフ・マーラー(1860ー1911)の自己愛の問題』です。「自己愛の問題」=「臨床心理」、論文=「言葉」、そして「グスタフ・マーラー」というクラシックの作曲家=「音楽」と捉えれば、「臨床心理」「言葉」「音楽」の3つが見事に合流していることに気づきます(ただ、「音楽」については、楽曲分析は全くせず、作曲家の生涯に専ら注目したので、厳密にはそうとは言えないかもしれませんが)。でもなぜ、今頃になってこんなことを思い出したのでしょうか。私にとっては、この大学でのゼミの出来事に起因するトラウマ(34歳)からうつ病になっていますので、最悪に近い状況で執筆したものでした(noteにはまだ書いていませんが)。しかも、今みたいに家父長制等の社会的な抑圧構造にも無自覚でした。にもかかわらず、この卒論は私の3つの原点を語る上で欠かせないのではないかと感じています。そこで、この卒論をnoteで取り上げてみようと考えました。どんなものになるかは分かりませんが、何回かに分けてできるだけ分かりやすい言葉で説明していきたいと思います。
 ここまで読んでいただいた方に深く感謝申し上げます。
  
 


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