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人生会議?

自分の最後はどうしたいか?

私も自分の最後は。して欲しい事、して欲しくない事をちゃんと家族に伝えようと思っていました。その事で書いた方がいいのか?書かずに口で伝えた方がいいのか?書いてその受け取り方が変わっていかないかとか……

いろいろ悩みました。延命はしないとは伝えています。

本当に改まってその事で話しあってみるのも少し躊躇しています。

聞き手にも考えがあるでしょう。その時にそれは出来ないって言うかも知れない。

一番大きな問題は、その時が来た時……それは今じゃないって事です。その時を想像してどうして欲しいかなんて言っても、全く正反対の気持ちが浮かぶかも知れない……

苦しくってそこから逃れたい想いがあれば、人工呼吸器を入れて苦しさから逃れようと思うんじゃないでしょうか?家族もそれを見たら、何とか助けようとしてしまうんじゃないでしょうか? それぞれの想いは、その時々の状況によって変わっていく。

最後まで、最初に想っていた事を貫き通すのは、容易な事ではないように感じます。

私の考えがぐらついているのは、ある家族の今を聞いてしまったからです。


多系統萎縮症と言う病気をご存知でしょうか?

https://www.byouin.metro.tokyo.lg.jp/tmnh/medical/medical/neurology/disease/msa.html


その家族の今を考えさせられるような出来事が起こりました。重度の疾患です。進行のスピードもALSに匹敵するぐらい早く、状態もALSと変わらないぐらい重度です。

患者本人は気切も胃瘻もしないと言っていました。その気持ちは充分理解できるし、その時がきたら私自身もそうするつもりでいる事は、変わりませんが、、、

突然呼吸困難になった時、家族がやはり生きていて欲しいと、患者の意向には反して気切を承諾してしまいました。

患者はどう思っているのか……術後その方は、涙を流されてほっとされたご様子でした。やはり家族とは、いつまでも一緒いたいと、思ってらっしゃったようです。ただ寝たきりで家族に迷惑をかける事への心苦しさ、そして自身が動けない歯痒さ、色んな複雑な想いが交差する事には違いはないでしょう。これから先に何か光が射すような治療ができればまた変わってくるでしょうけど……

人生会議はある意味必要だとは思います。でもそれに捉われることは、危険かと思います。その時にどう変わるかなんて、想像しても答えは見つからないからです。

人間って厄介な生きものだと……

自分で決めた筋書き通りにはいかないのが人生です。


人生会議・・・対話のプロセスは大切だけど、その時が来た時、どう変わるか、その気持ちは誰にも、本人でさえ想像できない。


自分はどうしたいんだろう、どうなんだろうと、今も考え続けています。



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