「強がってる」と言われた話

先日、ある男性と電話で話していた。その人は私が好意を抱いていた(なぜ過去形にしているかというと、今は自分の気持ちがよく分からないからだ)人で、酔っ払うとなぜかたまに私に電話をかけてくる。話の内容はたいてい転職とか収入とか、あとは英語に関する質問とかで、たまに聞きたくもないゲスい下ネタを言われることもある。

でも私は、そんな電話にうんざりしながらも、やはりどこかで嬉しく感じてしまうこともある。そう思うということは、まだ私はその人に気があるんだろうな、とも思ってしまう。

あるとき、またその人から電話がかかってきた。いつものように繰り返される仕事や転職の話。その人は事あるごとに私に転職を勧めてくる。その人も一度転職をしていて、前の職場よりいいとか、収入が上がったとか、そんな話から始まり、「何で転職しないの?絶対した方がいいよ。」というお決まりの流れ。私も全く考えていないわけではないが、そう何度もしつこく言われると、ちょっとうっとうしいなと感じてしまう。

そして、恋愛や結婚の話になった。そこで私が、「もう恋愛とか結婚とかいいやって思います。もう一生一人でいいかなって。」みたいなことを言ったら、その人は一言こう言った。

「強がってる」

私はすぐに否定したけど、その人の考えとしては、「例えば、めちゃくちゃ美人で、周りにハイスペックなイケメンもたくさんいて、その人自身も一人暮らしで自立してバリバリ働いてて、その上で独身でいることを選択するのは分かる(でも私は違う)」ということらしい。

この「強がってる」という一言は、私の心に浅いけど確かな傷を残した。

私は25年生きてきて、誰かと両想いになれたことなどないし、むしろ自分からバリアを張って他者を寄せつけまいとしていた時期もあった。

周りでは結婚していたり、子どもも生まれていたりして、自分だけどんどん置いていかれているような気がしている。でも、25年生きてきてこんなんだし、もう恋愛とか結婚とか、どうでもいいや、なんて考えることもある。将来のことは不安だけど、親友と呼べる人も何人かいるし、家族も元気でいてくれてるし、それに癒しと元気をくれる「推し」もいる。

だから私は今のところ一人でも平気だし、なんなら一生一人でも案外なんとかなるのかもしれない、と思う。そもそも自分のことで精一杯なのに、恋愛だの結婚だの、他の人のことまで考える余裕もない。

それに、最近自覚し始めた自分のセクシュアリティのこともある。こんな私を広い心で受け入れてくれる人を探すのはきっと難しい。どこかで相手に我慢をさせてしまうのは目に見えている。だったら一人でいた方が楽だし、そうするしかないだろう。

そんないろんな考えが頭の中をぐるぐる回った結果、私が出した答えが、「恋愛とか結婚とかどうでもいいや、一生一人でもいいや」だった。

でもその人からすれば、ただ私が強がっているようにしか見えなかったのだ。

これを100%否定できないのが悔しい。言いたいことはたくさんあるけど、その人の言ってることも分かってしまう。その気になればすぐ結婚できてしまう人があえて結婚しないというのと、私が結婚しないというのはわけが違う。私は、「恋愛も結婚もできないかわいそうなやつ」というレッテルを貼られてしまってもおかしくないのだ。

実を言うと、昔は結婚願望がめちゃくちゃあった。小中学生の頃は、「25歳で結婚したい」なんて言っていた。

でも大学に入り、自分は恋愛に向いてないな、なんて考え始めるようになると、その結婚願望もいつの間にか消えてしまった。もしかしたら、自ら消し去った、と言った方が正しいのかもしれない。

本当は結婚もしたいし子どももほしい、でも私には恋愛をすることすら無理、だったら最初から「したい」なんて思わなければいい、こんな願望は自分の心から抹殺してしまおう。そうやって無理やり自分の心に蓋をしたことは否定できない。「恋愛なんてどうでもいい」とか言いながらも、実は心の底では誰かに愛されたいなんて思っているのかもしれない。

そんな自分の心を、その人に見透かされたような気がした。この人は、少なくとも一度は私が好きになった人で、でも決して私の方を向いてくれることはなく、何を言っても適当にかわされてしまう、そんな人だ。私はそれに何度も振り回された。私が恋愛とか結婚とかいいやって思うようになったのは、もしかしたらあなたのことも関係しているかもしれないのに、よくさらっと「強がってる」なんて言えるよね。そんなことを言えるはずもなく、私は少し悲しいような、虚しいような、そんな気分になった。

こんなこと、誰かのせいにするべきではないっていうのはよく分かってるし、恋愛で傷つきまくっても、最終的に幸せな結婚をする人だってたくさんいるのも知ってる。結局は自分がどう判断してどう動くか、ということなんだろう。

そういう見方をするならば、私は傷つくことを恐れ、自ら動くことをやめてしまった臆病者にすぎないのかもしれない。

でも、私だって単純な考えでこの結論に至ったわけではない。自分なりに一生懸命考えて、自分の心と向き合って、悩んで悩んで、ようやくここまできたのだ。それに、ありきたりな言い分だけど、何が幸せかなんて、他人に判断する権利はないのだ。結局は、その人がどう思うかだし、恋愛や結婚が全てではない、という考えも少しずつ広まってきてる。私は恋愛も結婚も諦めたけど、なんやかんやで今幸せなのだ。

だから「強がってる」というのは半分あたりで、半分はずれなんだと思う。いつか、「100%はずれだよ」と言える日が来るのだろうか。そもそもそんなこと自体、どうでもいいやと笑い飛ばせるようになったらいいな。

こんな一言でここまで考えを巡らせてしまうとは思わなかったけど、改めて自分の内面を見つめ直すことができた気がする。そして、何気ない一言でも、相手に大きな影響を与えてしまうことがあるのだから、気をつけなければいけないなと改めて思った、そんな出来事だった。

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