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反抗期

子供が可愛いのは幼少期までであり、思春期になるとまるで手に負えなくなる。
生まれた時から怪我一つさせないようにと大切に育てて来た子供が、何故か、いつの間にか理由もなく言うことを聞かなくなり、それどころか、わざわざこちらを怒らせるような挑発的な言動を取るようになる。
どんなに親身になって思いを聞こうとしても、面倒くさそうに、煙たがられるようになり、やがて口も聞かなくなる。
自分にも経験があり、ホルモンの影響だとは分かっているし、親を乗り越えようとしているのも分かるのだが、その急激な変化にこちらの気持ちが付いて行かず、どうしたものかと悩み続ける。
一般的に反抗期とは親の愛を確かめる為のものであり、子供がどれほど酷いことをしたとしても、咎めず、優しく受け止めて抱きしめれば良いと、ものの本には書いてある。
反抗期とは甘えと依存と束縛からの解放という気持ちの揺れ動きで、条件抜きで自分を愛してくれるのかを確認する作業だと言われる。
しかし、親は親で厳しい時代と社会の中で、それでも家族に人並みの恵まれた生活をさせようと懸命に働き、子供たちが喜ぶ事なら何でもしようと家族サービスに勤しむものである。
家族の幸せが自分の幸せであり、その為なら命も惜しまず生き抜いて来たにも拘らず、彼らの一方的な変化に、ただただ戸惑う。
成長の過程であるとしても、余りにも容赦のない理不尽な行動や、筋の通っていない話ばかりを聞かされ続けていると、幾ら何でも酷過ぎないかと憤りの気持ちで一杯になる。
僕の場合は両親の介護と子育てが重なり、しかも、仕事のストレスで鬱になり、更にその後も男性更年期が訪れてメンタルは最悪の状況だった。それでも家族の生活を守るために休むこともなく、旅にも出掛けて、子供たちの経験と思い出作りに努めたものである。
これだけ自分の身を削って家族に尽くしても、子供たちには当たり前のように理解されず、彼らの挫折や悩みに寄り添って懸命に働き掛けても、自分の不幸を見詰める事ばかりに意識が向かっているのか、こちらの苦労や心配は見えていないようだった。
親とはこんなにも見返りもなく、尽くし続けるばかりの役割だとは、その立場になってみなければ分からない事であった。
それが十年近く、しかも子供が三人もいて、そんな状況なのだから、親業とはまさに忍耐と修行の場であった。
昔から可愛い子には旅をさせよ、という諺もある通り、家族という狭い関係性の中では、小さい頃からの甘えの構造から意識が抜け出せず、何時までも、その関係を引き摺ってしまうのだろう。
他人は親のように優しくはなく、ただで何でもしてくれる訳ではない事を学ぶ事によって、親の有り難みに気付くはずである。
だから、なるべく早く独り立ちをさせて、自分の事は自分でするという習慣を身に付けさせないと、彼らの依存心は抜けず、何時までも幼児の心のままの大人になってしまう。
僕も妖怪ではないので、何時までも生き続けることは出来ず、そう遠くない将来に鬼籍に入るはずである。
こんな時代に毒親という話題には事欠かないが、同じ子供でも、それぞれ個性があり、何が良くて、何が悪かったのかは、結果論的な話に行き着いてしまい、何をしても全てが駄目な場合もあるし、何もしなくても結果が良かった事もある。
親と子の相性と言ってしまえば元も子もないが、社会が複雑化して、親だけの影響で子供が育つというような環境にもなく、様々な媒体や情報に左右されて子供も成長している。
育てたようには子供は育たないという事を痛感するばかりであり、親の心、子知らずとは経験して漸く気付くものでもある。

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