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そんなに俺が悪いのか


悪いニュースばかりの世の中で、世界中のお偉いさんに至っては、お前が言うなの状態であり、仮に普遍的人権があるのならロシアやイスラエルのジェノサイドに人権条約締結国はなぜ口を噤んでいるのだろう。

国家を超えて普遍的な価値観が存在するのなら国家を超えて言うべきことはあるはずだ。

アメリカの司法取引を見ていても、合理性の前には普遍的な正義も普遍的な罪もないことが分かる。

今までの人生を振り返ると、背負いきれない程の荷物を無理に背負いつつ全速力で遠い道のりを歩んで来たような感覚であるが、この街に生きていると、それだけでは済まず、悪魔は天使の顔をしてやって来るものだと知ることになり苦悩することになる。

例えるなら熟練の猟師のように遠く安全な場所から密かに弾を打って来るような人間がいる。

僕は気の小さな人間なので、昔から自分を騙したり偽わったりすることができない。

自分を納得させたり、正当化できない生き方は高倉健ではないけれど、不器用なのでできない。

自分を誤魔化してまで生き続けることができない臆病者なのだと思う。

第一、単純な性格なので、自分を否定していると毎日のご飯を美味しく食べることができない。

父母もまたそうであったし、そう教えられて来たこともあるが、これは遺伝的要因が大きいのだと思う。

思えば、これまで僕は身の程を超えて無理をして家族に与え続けて来たという意味で毒親であったのかも知れない。

幼い頃、共働きの両親の下に鍵っ子として育ち、結婚式場の美容師として働いていた母とは休みが合わず、家族で旅行や食事に行った記憶などほとんどなく、父の作る食事を黙々と食べ、学校へと通う詰まらない日常を生きて来たせいもあり、その喪失感を埋め合わせようと、家族を持ってからは豊かな生活とたくさんの思い出を作ろうと僕なりに頑張った積もりであった。

つまりは自分の過去を埋め合わせるためであったのだが、子供たちにしてみれば、与え続けられれば当たり前だと捉えても仕方がない。

自分を犠牲にしてまで与えたとしても、それが相手にとって幸せであるとは限らない。

それは父が施設に入った後、僕が父の後見人となり厳しい裁判所の監督下に財産管理などをしていた時分、実家で倹しい生活をしていた母が、僕の苦労を見過ごすことができず、自分の僅かな年金のほとんどを子供たちの教育費として、子供たちの口座に送金してくれていたことにも関係しているのかも知れない。

どうやって生活していたのかは今でも分からないが、無理をしてでも家族のために与え続けるという母の優しい気持ちが僕にも受け継がれていたのだと思う。

結果としてそのことが母の命を縮めることになり、そのことが未だに僕を苦しめ続けている。

今では亡くなった父母の意味不明な謎の行動も、歳を重ねて思い返せば、その意味が良く分かって来たり、似たような行動とっていたりするもので、その意味において遺伝は怖いものだ。

長男を見ていると余りにも父母と似た生真面目で何時も相手の立場を思いやる人柄なので、懐かしくもあり有り難くもある。

お互いを思いやる温かな気持ちと人情が僕をバイパスとして伝わっている。

僕の残りの人生もそれほど長くないが、何とか他人を騙したり裏切ったりすることなく終えることができそうだ。

なかなかこの歳になると他人から怒られたり叱られたりすることもなくなるのだが、これからも誰かの忠告や批判には大きく耳を傾けて、自分の良くないところを指摘されたなら素直にその言葉に従い、匡して生きて行ければと思っている。

僕もまた自己愛が強いのかも知れない。

だが他人に否定されることが怖いのではなく、承認されないことが不満なのでもなく、自分らしく生きられないことが不本意だと感じている。

僕の心はまだ十五歳のままで留まっているのかも知れない。

老人になっても良くも悪くも大人になりきれない自分に戸惑っている。

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