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「P」の記録_File9

File9:ハム


Pとの同居生活から離れ半年が過ぎた頃。私は自分の両親や友人よりも、Pとの方が頻繁に連絡を取り合っていた。そんなある日の一事件。

突如送られてきた一枚の写真には、小さなハツカネズミが写っていた。送り主は勿論、P。そのネズミは、何やら黒光りするまな板のような物の上で横向きに寝転ぶような体制をとりこちらを凝視している。
下に添えられていたのはたったのひと言

「俺のペット」

Pの他人との会話は基本、単語単位である。

1ターンにつき1単語が平均的な文字量という、なんとも低燃費で不親切な会話形式である。要するにこの場合、「俺の」と補足があるだけ親切なほうなのだ。ひどい時は写真のみで謎解きを強いられるのだが、この日も案の定、私が推測で内容を付け足し正誤回答形式でPから答えを引き出す必要があった。

しかし前提として読者にも私の手元にあった情報を開示しておくと、まずPはネズミを飼いたいと話していたことはない。むしろ動物も昆虫も植物も、毒がなければ食物と捉えているような輩である。そもそも飼育のための道具など何も揃っていないし、知識もなければそんな金の使い方をPが知るはずもない。というよりも、そんな金をPは持っていない(それについてものちに記録する)。動物とPの私が知る唯一の接点は、Pが養豚ゲームアプリを愛用していること。

つまり、情報は無いに等しい。俄かに現れた「俺のペット」という謎の存在について知る術は、皆無だった。

そこで私はこのいたちごっこな推理ゲームを半ば投げ出しひとつ、

「名前はハムか?」と的外れな質問を返した。

無論、Pのブタゲーム好きを知っての返答である。同時に、私があえて一切の状況を聞かないことで本人からの説明を促す意図があった。Pはそんな私の策略には見向きもせず、

「じゃハムで」と返した。

私の一計はPという巨大な壁の前で儚く散り去った。敗北を認め、大人しく在りもしない想像力に残業代を払い正誤判定を乗り越え、漸く事態を把握する。

どうやら近頃P宅で深夜、誰もいない居間に響く壁を掻くような「ガリガリガリ」という音の犯人を捕まえたので飼育することにした、という報告だったらしい。それにしても

「ネバネバ」

の一語でPの言わんとしている文が

「自宅に棲みつき夜毎に動き回る犯人をネズミとりで捕らえ飼うことにした」

であることを察した私はなかなかのエスパーだろう。

衛生面・設備やそれらの知識不足が甚だ心配ではあったが、それ以上に好奇心の方が遥かに上を行っていた。Pに自分以外の生物を飼育するという行為が科されたことは未だかつてなかった。趣味らしい趣味といえるものも無く、強いて言うなら建築や養豚のゲームくらいのもので、みかんや梅干しや緑茶を口にするのが趣味なのでは無いかと疑うほどであった。

そんなPが一匹のネズミを前にし、飼育するという決断をしたというのだ。この事件は一体全体、ネズミとどのような化学反応を起こしてしまうのだろう。そう思った一瞬の隙に、ネズミ飼育やめさせるという選択肢が私の中から駆除され消え失せてしまった。

そんなわけで私は次のP宅訪問の時を心待ちにしていた。いざ行ってみてこれこれはどうなった、などとと聞いてみると、Pの口から出た言葉は意外なものだった。

「逃げた」

Pが私に連絡を寄越してから、ものの10分足らずで「ハム」は逃走に成功し晴れて自由の身となったらしい。


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