『ポポル・ヴフ』

『ポポル・ヴフ』の話をします!聞いてくれっ!!

前ブログにて感想を書いた『密林の語り部』を読み、マチゲンカ族について少し調べたときに、かなりの数の原住民族がアマゾンの密林をはじめとしたメソアメリカ・ラテンアメリカの各地に住んでいるらしいことを知った。
そして、職場のパソコンで規制にかからないサイトを綱渡りし、現在も主にグアテマラで暮らす"キチェ族"という部族による、マヤの創作神話や彼ら自身の年代記などの口頭伝承が書き留められていること、そしてさらに、出版されていることを知った。しかもなんと、三島由紀夫が日本語訳に批評文を寄せているとか!!

タイトルは『ポポル・ヴフ』。

あ~読みたいな読みたいな、と思いつつ過ごすこと2日。習慣で入った近所の古本屋。最近は本屋に行くと、ラテンアメリカエリアを念入りに見るようになった。中公文庫のエリア。見るたび笑ってしまう分厚い『パンセ』の隣に『ポポル・ヴフ』。えっっっ!!!売ってる〜!!もう見つけちゃった!やっぱりここは私の街だ~!っと心で西荻窪を抱きしめる。表紙はいかにもなイラスト(しかしこれは20世紀にかかれたものらしいです)、裏表紙には三島由紀夫の批評。

"この聖典はマヤの万神殿を形成する神と英雄との物語で、そこに猛威を振ふ太陽の力のすさまじさは、今日なほ、密林に包まれたマヤの廃墟のかたはらで如実に味はふことができる。"

こ〜りゃ絶対ほんものの由紀夫ちゃんだよ、太陽好きやしね、と大はしゃぎで即購入。温泉旅行へ向かう電車で読み始める。移動の度に読み進めたので、1泊2日の旅行中、同行者に「ポポル・ヴフによるとね~」の枕詞で10回くらい話しかけちゃった。

さて内容ですが、想像通りのめちゃくちゃ神話。日本人だからこそビビっと来てるものがある、と改めて思った。正直難解なところも多いが、太陽へのあこがれとか、動物たちの起源を想像する気持ちとか、なんとなくわかるのだ。
また、大量の注釈が面白い。注釈にいくつかの解釈(勿論著者・訳者の考えも)が並べてある書籍が大好き。大量の注釈付きで、これによって原文・現代語訳がほとんど平行している最高の『古事記』があるのだが、これを思い出した。古事記好きの人はポポル・ヴフにも注目です。

じゃ、みんなは『ポポル・ヴフ』読まないと思うから、特にウケたところや好きなところをいくつか挙げます。(読み返しましたが、難解な部分が多いこともあり、まあまあ私の解釈も含まれておりますがご了承ください。でも一生懸命一生懸命読んだ結果です。)

まず、世界が出来るまでを描く神話にありがちな「人間の創造」の部分。
神々はまず、鳥とか鹿とかを創って彼らに居場所と食べるものを与えるんだけど、物足りないということで人間を創ろうと思いつく。まず泥と土で創ってみる。ぶくぶくドロドロで全然だめ。次に木で創ってみる。これは悪くなかったが、キーキー言うことしかできず(木だけに)神の名を呼べないため洪水を起こして流し去る。この際の木人間の生き残りが猿なのだという。そして三度目の正直で人間を創ることに成功するのだが、この材料はなんと、トウモロコシ。え~っ!私たちって、トウモロコシが起源なの~ッ!?思わず笑ったが、彼らの生活の中でどれだけトウモロコシが大切なのかがよく分かる。ウチら日本人は稲から作られたのかも。
さらに、彼らは彼ら自身個々の名前のレパートリーに「黄色い(よく熟れた)トウモロコシ」と「柔らかいトウモロコシ」をもつ。トウモロコシくんや、やわらかトウモロコシくんが居るということです。

これ面白いなあと思ったんだけれど、彼らの名前は暦からきている。マヤ文明における暦はとても正確だった(1年を365日としていた)ことで有名であるが、それとは別に、儀式用の暦というものも存在した。この暦における月と日付の組み合わせをそのまま名前にしていたそうだ。13の月(単なる数字?)と20の日付があったようで、つまりは260通りの名前が存在した。

この日付となる20種類の単語の意味がウケるので何個か紹介します。(アルファベット綴りは文庫本注釈からとったキチェ語。しかしカタカナ語表記が無いものも多いため、発音が不明瞭なもの多し。悔し~)

まず「Queh」。これは”自然”の意味もあるが基本”病気”や"毒"。
次に「Camey」。これは”平静”みたいな意味もあるみたいだけど、基本”死”の意。
こんな暗い名前を背負って生涯やっていくのマジで嫌すぎないですか。びっくりした。「病気くん」とか百歩譲ってまあ分かるけど、「死~~!」って呼ばれてる奴いたら笑うでしょ。キラキラネームの正反対、ネガティブネーム問題。流石に現実的な話、日々の中でそれぞれに「メ~ちゃん」とかなんとかニックネームとかがつけられていくんだとは思いますが……。
ちなみに、後々でてくる人々を苦しめる神々、いわば神話中の敵役神らの名前はそういうのばっかり。道端でばったり倒れ死なせることを得意とする、急死神とかいて笑ってしまった。しかも名前は「シック」と「パタン」。シック(病気)でパタン(倒れる音)じゃん

そして、「Canel」は”黄色い(よく熟れた)トウモロコシ”、「Ah」は”柔らかい(未熟な)トウモロコシ”である。そして「Cat」は"トウモロコシを運ぶ網"。他の単語が”死”やら”風”やらとドデカ主語なのにも関わらず、”穀物”ですらなく、異なる状態の”トウモロコシ”が2種類あって、更にそれを運ぶための道具までが20個しか選ばれない単語の中に食い込んでいる。しかも、"黄色いトウモロコシ"を指す「Canel」は"富"という意味をも持つのだ。彼らの中でトウモロコシは本当にドデカい存在だったことがよくよく分かる。

ちな、マヤ暦の占いって多いし儀式暦を参考にしてるみたいなので今がいつとか出てくるかな?とちょっと調べてみたけれど、この儀式暦を正確に引用しているものは現在ほとんどないぽいです。ちぇ~。
近いうちに自分のマヤネームをなんとか割り出したい。

内容に戻りますが、ポポル・ヴフのメインは、フンアフプーとイシュバランケーという若者2人の英雄譚。「若者」と表現されてはいるが、これらは人間が生まれる前のわちゃわちゃ話っぽくて、彼ら2人も神っぽい。彼らの家族構成がまた複雑。しかも子供の代の話と親の代の話が順番前後で出てきてややこし~!何回も注釈と本文行き来しちゃったよ。
まとめるとこんな感じです。

(職場で暇すぎる時に打ちました)

画像1

まず、創造神の最初の子供、フン・フンアフプーとヴクブ・フンアフプーの2人がいた。彼らは球遊びがうるせ~と冥界シバルバーに呼び出されて、冥界の王であるフン・カメーとヴクブ・カメーに殺されてしまう。

また名前の話をちょっとしますが、「カメー(Camey)」は上でも述べたように”死”を表し、「フン」は”1”を、「ヴクブ」は”7”を示すため、彼らは”一の死””七の死”という意味の名を持つ二人組。ちなみに「フンアフプー(Hunahpu)」は猟師の意。ここで対立する二人組同士は、それぞれ「フン」と「ヴクブ」で対になっているのですよね。キチェ族らの中で1と7という数字の組み合わせに何か意味があるのだろうか。注釈では特に触れられていませんでしたが気になっています。

ちなみに冥界にはあと10人王がいて、そのうちの2人が先ほど紹介したシックとパタンである。他にも、かさぶた飛ばしとか、膿の鬼とか、むくませ王とかが居ます。最悪~。

話を戻します。このとき殺されたヴクブ・フン(打つの面倒なのでアフプー略します)の方は埋められ、フン・フンの方は全く実のならぬ不気味な木につるし首にされる。この木はフン・フンの首をつるした途端に実をつけ始め、どれが首だか実だか分からん状態になってしまう。不気味な現象に皆が慄き、木の周りは冥界内でも誰も寄り付かない心霊スポット的場所となる。死神やら悪鬼だらけの冥界で生首ウッドごときに怯えるなよってちょと笑った。しかし物好きはどこの世界にも居るもので、ある日、好奇心旺盛な冥界の娘イシュキックが誰も寄り付かない木の元へ足を運ぶ。

すると、娘に向かって生首が突然しゃべりだす。「実がほしいかね?」
イシュキックは答える。「ほしいです。」
「それならば右手をこちらに差し出してごらん。」
彼女は言われた通りに右手を伸ばす。生首のフン・フンは、その右手にペッと唾を吐きかける。そして「おれは骨になったが、誰しもに子孫を残す権利があるのでお前にそうした。地上へ行け。」とか言う。(ここが気持ち悪すぎてフン・フンアフプーの私の中での評価ダダ下がりした。)

娘は家に戻り、しばらくすると父親に妊娠を見破られる。未婚の女は男の顔を見ることさえ許されていない冥界、父親は憤怒。イシュキックは冷静に「私は男性の顔を見たこともありません。」と答えたが、しかし父親は娘の罪に絶望し、娘を生贄にすべくみみずく達に連れて行かせる。
しかし彼女は「私を殺してはいけない」とみみずくたちを説き伏せ味方につけることに成功する。そして彼らに偽の心臓をシバルバーへと持ち帰らせ、唾かけ生首の母親を訪ねるため地上へ向かう…。
イシュキック、唾かけられて妊娠して父親に生贄にさせられかけてるのに、超絶冷静勇敢女すぎて怖い。自らの運命をすんなりと受け入れすぎている……。『密林の語り部』を読んだ際にも思ったが、当然の如く運命や使命を自ずと悟り、それを全うすることを総てとする彼らの心持ちには恐ろしさすら感じる。

このあと彼女は、義母となる創造神の老女(夫は亡くなっている)の元を訪れるも、唾かけ妊娠の話を全く信じてもらえずにかぐや姫ばりの無理難題を吹っ掛けられる。しかし祈りにより(!)これを難なく乗り越え、老女とフン・フンの息子2人と暮らすようになり無事双子の男の子を生む。


この元々いた息子はフンバッツとフンチョウエンという。彼らは父親から様々な術を受け継ぎ、何でも出来るとても賢い双子だった。しかし、腹違いの兄弟フンアフプーとイシュブランケーの誕生で、弟らを妬んだ彼らはただの嫌な奴らへとなり下がる。あろうことか、まだ幼い弟2人をあわよくば殺そうと危険な目に合わせて、成長した賢い弟2人に猿に変えられてしまうのだ。ここで「こうして猿人間が誕生した」との記述がある。先ほども「木人間の生き残りが猿なのだという。」との部分に触れたが、キチェ族の見解では猿は猿として創造されておらず、あくまで人間の出来損ないとして捉えられているのが面白いと思う。

成長したフンアフプーとイシュブランケーは様々は偉業を為す。
「俺は太陽であり、光であり、月だが?」「この世のあらゆる山を作ったのは俺だが?」等と大ぼらを吹くヴクブ・カキシュ(Vucub Caquix)という嫌なでっかい化物の弱点が「歯」であることをつきとめ、歯医者さんに扮し、歯をめちゃくちゃにして成敗したりとか。ヴクブ・カキシュはでっかい鳥らしい。余談ですが私はアンダーテイルをプレイしたばかりなので頭の中にオワライチョウ一家が浮かんだ。ちなみにその鳥の息子2人も最悪の怪力化物だったので後に退治している。

しかしメインの偉業はやっぱり、父親と叔父、フン・フンアフプーとヴクブ・フンアフプーの仇討だ。


2人は冥界へ呼び出され、その道中から父と叔父を殺したフン・カメーとヴクブ・カメーにたくさんの罠を張られる。冥界への呼び出され方からもう面白い。

シバルバーの召使はフンアフプーとイシュブランケーの祖母に双子が冥界に呼び出されている旨を伝え伝言を頼む。しかし同じように呼び出された息子ら(フン・フンアフプーとヴクブ・フンアフプー)を亡くした経験のある彼女は直接伝える勇気が無い。嘆く彼女のもとにポトリと虱が落ちてくる。
「おおかわいい虱よ。私の孫に伝言を持っていっておくれ」
虱は素直にてくてく双子の元を目指す。その道中でがまに出会う。
「腹に伝言をいれてんだ」と伝えると、がまは
「お前の歩みじゃ何年かかることやら。おれが運んでやる。」と丸呑みに。
ぴょこぴょこ進むがまの目の前に大蛇。
「腹に伝言をいれてんだ」と伝えるがま。(がまの場合はマジで"腹に伝言が入ってる"の地味に面白いと思った。)
もう展開が読めますね。蛇はがまを丸吞みに。
ここで"それ以来、がまは蛇の食べ物となり、今でも蛇はがまを食べるのだ。"の一文が入る。突然の日本昔話感におお~っとなる。そしてにょろにょろ進む蛇の目の前に鷹。
"それ以来、蛇は鷹の食べ物となり、鷹は野原の蛇をむさぼり食うようになったのである。"

そして鷹は双子の元へたどり着き「バック・コー、バック・コー」と鳴く。これは鷹語で「ここに鷹がいるぞ。ここに鷹がいるぞ。」という意味らしいです。鳴き声の翻訳が急すぎる。もうこれから鳥の鳴き声全部「ここにいるぞ。」に聞こえちゃう。

なにはともあれ双子と出会えた鷹は「おれは腹に伝言を」と蛇を吐き出す。蛇は同じようにがまを吐き出す。そしてがまは虱を吐く…と思いきやなぜかがまだけスムーズに虱を吐けずに胃液だけがおえおえ出てくるみたいな妙に生々しい描写が入る。実は虱が飲み込まれたふりをして口の中に居たというオチで、虱が飛び出してきて、伝言は無事に双子へと伝えられる。
のだが、このシーンで蛙は虱がなかなか出てこないせいで双子に嘘つき呼ばわりされる上に”それ以来、がまはどんな食べ物をもらっても、それがいったいなんだか分からなくなってしまったし、そのうえ駈けることもできず、蛇の餌になりきってしまったのである。”などと、どこか教訓じみた悪口まで言われ散々な扱いである。インディオは蛙に恨みがあるのか…?


こうしてシバルバーへ向かうこととなった双子の冒険がはじまる、わけなのですが!!私はこのあと打ちこんだ1000文字ちょいを誤って削除してしまい落ち込んでいます。ので、ラテンアメリカ熱が冷める前にアップしちゃいたいと思います。

途中で上げておいてなんですが、『ポポル・ヴフ』おもしろいっしょ?


つづく!

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