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ひろしま

美しい街だった。その日は青い空の澄み具合よりも咲き乱れる雲の方が圧迫感あり、見上げると存在ごと何かを持っていかれるような天気の下で、凛然と佇んでいた資料館や噴水や原爆ドーム。どれだけ時代を積み重ねてもこの場所だけはきっとこのまま変わらない。私は平和記念公園の独特の空気の中、あの場所に吹きつける冷たい風の感覚を肌に染み込ませた。
こんなに穏やかな気持ちなのに、穏やかにいさせてくれないし、いられない。
小学生のあの頃何度かあった、教室を暗くしてみんなで見たビデオ。後に書く感想のことを面倒くさいという怠い気持ちが半分、感想を想定しながら見ようという気持ち半分くらいで、でもそんな思考を吹っ飛ばすような内容。白黒だがグロテスクで生々しく、目を逸らそうと思っても教師が「目を逸らさないで」「ちゃんとその目で見なさい」って何度も強く言うもんだから、本当に心の底から嫌だったけど無理やりにでも視界に入れさせたことを強く覚えている。アニメも見た。「はだしのゲン」。「はだしのゲン」は図書館に置いてたはずだが、なぜかクラスのカースト上位男子にしか借りられず、ずっと話を知りたいと思っていた。内容を知ってとても苦しかった。あとクレイアニメも見た。小学2年生の時見た「おこりじぞう」、最後はみーーーんな死んで、主人公のおじいちゃんだけ生き残った。主人公は女の子。無邪気な女の子の笑顔。とても素敵な女の子だった。クレイアニメといえばピングーやミッフィーくらいしか見たことがなかった。これはアニメじゃない。紛れもない現実だった。あれだけ胸糞な話を見たのは、もしかしたらあれが人生で初めてだったのかもしれない。
うちの小学校周辺も空襲で相当酷かったらしい。川に多くの人が飛び込み亡くなった。
小6の時の先生の「目を逸らさないで」。我々人類は愚かな生き物だから、これが真実で真実からは逃れられない。真実だから真実は絶対。
「戦争を二度と起こさないためにあなたは何をしますか?先生はこうしてみんなに伝えるということをしました。あなたは?」
感想ではなく、あなたは何をするべきか考えろと言われた。“あなた達”ではなく“あなた”。見終わった後のクラスメイト達の書いた文章を読んだが、先生の真意が理解できてなかったらしく、映像の感想ばかりだった。私はなんて書いたっけ。「より多くの人に伝える」以外に思いつかなかったし、今も思いつかない。何を言っても口先だけになる。その先生、個人的に普通に嫌いだったけど笑(理不尽なことでよく児童を叱る人だったから)、戦争のビデオ見させられた時のこの言葉は今でも覚えていた。

今回展示物を見て、後遺症に苦しんだ人達のことが最も強く印象に残ったな。
正直、本当にしんどくてまともに見れなかった展示物があった。人々の言葉だ。
「こんなことなら、あの時死んだ方がマシだった」って、もしかしたら思ったのかもしれない。
資料館の中は昔よりも随分マイルドになったらしいが、いくら真実を展示しようと戦争の苦しみというものはこんなレベルじゃないんだろう。資料館の中がいくら変わろうと、人類が愚かなことには変わりない。痛みは変わらない。死んでいった人達は今となっては何も言えない。
資料館の最後あたりにノートが置かれていた。ノートには資料館に訪れた多くの人達の気持ちが残されていた。心を痛めた人、世界平和を願う人、二度と繰り返してはならないと戒める人、怒り狂っている人、今現在起きている戦争に怒る人…
私も何か書こうと思ったが、今のこの気持ちを綺麗に言語化し、多くの人の目が触れるであろうノートに2、3行でまとめられるわけないと思って何も書かずにそのまま出て行った。ただ大事なこととは、いつもシンプルだ。
靴の中の小石を出しても歩く時に感じる違和感、綺麗さっぱり取り除いてスッキリと靴を鳴らせる日は、きっと来ない。

おとぎ話だけを信じて生きていけたら、どんなによかっただろう。
もっと可愛い絵本の世界にいたかった。まだ何も罪のない小さな子ども達に胸糞ビデオを見せトラウマを植えつけて、「二度と繰り返してはならない」と教育させること、これが大人ってやつかと子ども時代に学んだ。ビデオの内容は、顔すら知らない大人達の罪なのに。
人間、取り返しのつかないことをしてやっと自らの過ちに気づくのなら、傷ついた人達の責任をとれない辻褄が合わない、こんな何もかもおかしいなら最初から人間なんてこれ以上繁殖させなければいいのにと、私の中の反出生主義により一層拍車がかかるだけで終わった。
これを見るべき人達って、上に立ってる人とか今現在進行形で戦争起こしてる奴等じゃないか?頭のおかしな一部のトップの人達のせいで巻き込まれて苦しむんだったら、いっそ生まれてこない方が幸せなんじゃないか。子どもが産まれることを奇跡だとは確かに思うが、素晴らしいとは思わなくなったのはいつからだろう。そりゃあ少子化が進むわけだ。
自信の罪、幸せ、どれだけ純粋でいられるか、汚れるか。純粋すぎるとバカを見るし痛い思いをする。だからといって人間不信すぎると生きていけない。これだけ犯罪者がいても捕まえてくれない。どれもあまりにも辻褄が合わない、その辻褄が合うと思い込んでる人だけが産めばいいんじゃないですかね。それなりの軽蔑の目は向けるかもですが…
でもまぁ、生まれてきてしまった以上、幸せになるしかない。
大事なことは、いつだってシンプルだ。

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