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Windowsは、待っていてくれるから。

新しい会社に入ってから、MacのPCをつかっている。表面はさらさらとしていて、角っこが丸くなっている。自分がだす音も、オフィスの少し離れたところから聞こえてくるタイピング音も同じく耳に心地よい。

ディスプレイに映し出されるのは、ゴシック体のフォントである。なんの変哲もなく、普通でいて、かっこいい。

そしてWindowsなどの、他のOSへの互換性もばっちりである。そのことが、これまでインターネットの世界を築いてきた人たちへの尊敬に思えて、やっぱりかっこいい。

つかってみて、みなが惚れこんでしまう理由はすぐにわかった。MacBookは、美しさと使いやすさを両立させている素晴らしい製品だったのだ。

けれどわたしは、やっぱりWindowsのパソコンが好きみたいだ。

ディスプレイに映る文字は、どこか不必要なかわいげがあるし、他社との互換性はそれほど高くない。

だけどすきだ。人生ではじめて触れたのがWindowsだったから、というのもあるけど、それよりももっと、しょうもなく大切な理由がある。

すきな理由、それは変換を自由にさせてくれることだ。

つかい始めてからAppleがつくるPCは、文字を入力すると、瞬時に変換をしてくれるのだと知った。「ひとり」と入力すると「一人」と表示してくれて、「ふたり」と打ち込むと、「二人」と表示してくれる。

これまでWindowsしか知らなかったわたしは、これにけっこう感動した。当然のようにしてきたスペースキーを押す動作が、不要になったからだ。このPCであれば、毎日の仕事が、5分くらい早く終わりそうだと思ったほどである。

だがこの特性は、わたしにとっては欠点でもあった。なぜなら文章を書くとき、わたしは漢字とひらがなのバランスにこだわっているからだ。洋服のコーディネートを考えるような、そういった類の一種の計算に近い。

たとえば「今日」という単語をつかうとする。するとわたしは、k・y・oとだけ打ち、前後の文章をながめる。

周りに漢字の単語が多ければ、「きょう」は「きょう」のままにして、周りにひらがなが多ければ、「きょう」は「今日」になる。

これを迷える時間がほしい。「きょう」と打ったら、そのまま、しばらく待っていてほしい。

そういうわけで、MacBookのよさを十分に知りつつ、待ち上手なWindowsと、もう少し一緒にいたいのだ。

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