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2年間、好きなはずの仕事にやりがいを感じられなかった私が、農的暮らしの中で見つけた小さなやりがい

私は今、2年と少し勤めた会社を辞めて、
農的暮らしや自然に囲まれた暮らしを体験しながら、旅をしています。

農的暮らしをしている農家さんや、
自然の中で宿や飲食店を営んでいる方のお手伝いをして居候しながら、
2週間から1か月、そこでの生活に浸りつつ、
気まぐれで転々と旅をする毎日。

今日は、そんな生活の中で見つけた、”小さなやりがい”のお話。



私はサラリーマン時代、人材育成や組織開発のコンサルの会社で、営業やコンサルの仕事をしていました。
就職活動はとても充実していて、自己分析も頭や心から煙が出るくらいやったし、
そのうえで長期インターンや自分の活動でやりたいことを見極めて、
就活中に「ここだ!ここしかない!」と思った会社に無事就職ができました。

研修期間中は、学びたいことを学べている充実感、
テレアポや営業では結果が出ている実感もあって、会社の人たちもいい人ばかり。
不満が入る余地のなさそうなそんな日々でしたが、
とても不思議なことに、どんなに結果を残しても、
仕事に対してやりがいを感じられない自分がいました。

テレアポで一番たくさんのアポを取った!ちょっとうれしい!でも、だからどうした?
大きな案件を受注した!ちょっと誇らしい!でも、ただそれだけの話。
受講生に大きな心の変化があった!でも、正解が分からないこの世界で、この変化は受講生にとって良いものだったのか?

何を成し遂げても、ちょっとだけ嬉しい気持ちと疑念が、一緒に生まれてくる。

「やりがいあるーーー!」「やり遂げたーーー!」
そんな解放感と充足感に満ちた気持ちは、歩めど暮らせどやってこない、
そんなグレーな日々が続いたのでした。

大好きな仕事のはずなのに、
働いても働いても、景色が明るくなることがない。

これほど充実した環境でもこんな状態なんじゃ、
これから俺の人生って好転するのかな。。。


この道の延長線上では、
今と変わらない生活が続く気がする。
そう思った私は、サラリーマンという、自分を守ってくれていた防具を脱ぎ捨てたのでした。

私が旅の最初に訪れたのは、宮崎県の高千穂町。

知り合いに紹介してもらった農家さんは、
無農薬の自然農を行いながら、エネルギーや食糧をなるべく自給する生活を行っているところでした。

朝6時に起きて、6時半にお茶を飲みながら体調や気持ちのシェア。
午前中の仕事を11時半までやったら、みんなでお昼ご飯を作って食べて、15時までおやすみ。
18時前まで仕事をしてから晩御飯を作って食べて、21時過ぎには自由時間&就寝。

日々、畑仕事や、山での仕事、家の解体・修繕などなど、
ありとあらゆる仕事を手伝いながら、
一緒にご飯を作って食べて片付けて、時々語らったりする共同生活を送りました。


東京で生まれ育った自分にとって、
ここでの生活は新鮮で、
自然農で作った野菜はうまみが凝縮されていておいしいし、
自然の中にいてぼーっとしているだけで心安らいで心が軽くなりました。

ただ、
一人が好きな自分にとっては、共同生活は慣れない部分がたくさんあったし、
虫は多いし、そもそも旅の始まりが8月ということで、基本クレイジーな暑さだし。。。

特に気が進まなかった仕事がありました、
キッチンの改装。

ハウスダストアレルギーな自分にとって解体作業はかゆみの地獄だし、
竹を切り出すときは竹藪から生まれたばかりのやぶ蚊が寄ってくるし(竹藪なんてやぶ蚊の本拠地やないですか!)、
竹を加工してあぶる作業は煙で呼吸しづらいし、
炎天下の中高温のマキの近くで竹磨き続けることは、”修行”と呼べるほどに過酷なものでした。

ある日、夕方までかけて、ピカピカに磨いた竹を天井に乗せていきました。
天井の足場に乗り、せっせと竹を敷き詰めて。

もう太陽が沈みかけたくらいの時間帯に、
数日かかった天井作りの作業が終わりました。

足場から降り、竹が敷き詰められた天井を見上げた時、
「おぉ!すげぇぇ!!」
つい口から滑り落ちるように、声を出した自分がいました。

胸にこみ上げる黄色いワクワク感が、
何にもつっかえずに出てきたその感覚は、
今まで自分が感じたくても感じられなかった、”やりがい”そのものでした。

たかが一つの家の天井が綺麗になっただけでしょ?
それってどれだけ社会に対して意味あるの?
それを見た人ってどれだけ人生良くなるわけ?

遅れて頭からやってきた、疑念。

心は答えました。
「え、綺麗だからいいじゃん。」



サラリーマン時代の私は、
心からあふれる”やりがい”を、許せていただろうか?

誰に言われるでもなく自分で考えて、オリジナルのリストを作り、テレアポの獲得率を上げられたとき、
夜通し必死で勉強し、作り上げた提案書を見て「これだけ親身になってくださってありがとうございます」とお客さんに言われたとき、
研修でサポートしたチームの関係性が深まっていき、受講生が涙ながらに研修を終えたとき、

たしかに”やりがい”はあった。

でも、いつも胸でクッと抑えてきたのは、
頭の声が発する、"疑念"でした。

疑念があったっていい。
それはこれからの自分を強くしてくれるから。

でも、誰かの笑顔を見られた瞬間とか、自分が頑張って何か成し遂げた瞬間とか、
小さな小さなその一瞬一瞬は、心が舞い踊る舞台くらい、
用意してあげていいんじゃないだろうか。

だって素敵だと感じられることをしたんだもの。
いいじゃない。ちょっとくらいさ。

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