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毎日投稿に意味はあるのか

今日この記事で、毎日投稿50日達成だそうだ。


一記事あたりの分量を減らして、毎日投稿を始めてはや50日。

本当に毎日記事を書いている訳ではなく、ある程度ストックもしているので、体感はもっと短い。

でも、50日というはそれなりの日数だと思う。


「毎日投稿」と聞くと、なんか凄そうに聞こえる。

何も知らない人に話したら、「毎日記事を書いて投稿しているなんて凄いですね!」と言われそう。

確かに、大半の人が何かを始めても三日坊主で終わることを考えると、「書く」なんてしち面倒くさいことを50日間も毎日続けているのは確かに凄いかもしれない。

だから、50日間毎日投稿を続けた自分は、間違いなく褒めて良い。


一方で、それに何の意味があるんだろうとも思う。

50日間記事を書きました。で?何か得るものあったっけ?

そう聞かれると、答えに窮する。


お金を得ているわけではない。

沢山のスキをもらって有名になっている訳でもない。

明確に文章力を上げようと努力している訳でもない。

仮に明日から投稿をストップしたとして、何かを失うのだろうか。


もしかしたら、毎日投稿自体には意味はないのかもしれない。

ただ、書くという行為には意味はあると思う。

自分の考えや感情を言語化して表現する。発信する。

毎日だろうが不定期だろうが、カッコ良かろうが悪かろうが、読みやすかろうが読みにかろうが、書くという行為自体に価値がある。

書くことで、自分の輪郭が鮮明になるから。


だから私は、明日も記事を書くと思う。

51日連続投稿。だからどうした。

50だろうが100だろうが、ただ書きたいから書くだけだ。

それがきっと、いつか自分をどこか遠くに運んでくれると信じて。

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