愛を持って人と接することの難しさ
愛を持って人と接することを意識している。
恋愛体質ということではない。
ただ、目の前にいるその人を、ちゃんと受け止めたいということだ。
例えば仕事のメンバーと接するとき。
その人を道具としてみなして、あれやこれや作業を指示することもできる。
あるいは、知識や能力が自分よりも劣っている人とみなして、自分が教える立場として接することもできる。
どちらも愛を持って接しているとは思えない。
愛を持って接するとは、目の前のその人のありのままに受け止めること。
その人ができること、できないことをありのままに受け止めて、それを活かすように、あるいは補うように接する。
上下でも主従でもなく、横並びの対等な関係。
仮に性格や能力に難があっても、その人がここにいること自体に意味がある。
意味のない人などいない。
それを活かせないのは自分や環境のせいである。
そう思うように意識している。
でも、実際にはとても難しい。
どうやっても上下や主従のように見てしまうし、感情的に気に食わない人もいる。
何気ない一言で傷ついてしまうこともある。
どんなに意識しても、意識から外れてしまう。
でも、だからこそその価値があると思う。
愛を持って人と接するとき、そこに敵対意識や執着はない。
ただ、ありのままを受け止めるという意識がある。
そこには、温かい感情しかない。
もし世界中の人が愛を持って接するようになれば、互いに理解はしあえなくても、争いはなくなるかもしれない。
人と人をつなぐもの。
それは、やっぱり愛なのだと思う。
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