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車買った

昨日、人生で初の納車を迎えた。

購入した車は、マツダのCX-30。

写真撮ってないので、公式サイトの画像(https://www.mazda.co.jp/cars/cx-30/)


これまではずっとカーシェアで過ごしてきた。

でも、子供が大きくなって電車移動が結構面倒になってきた。
個人的に運転が好きで、モヤッた時に一人でドライブして気を晴らすのも好き。
思い立ったときに、ふらっと気軽にどこかに行けるような機能性も欲しい。

などなどの理由から、やっぱり自分の車が欲しいなと思うようになっていた。


とはいえ首都圏の駅近物件に住んでいるので、どこまで必要になるかは未知数。
ということで、新車ではなく中古車を買うことに。

ある日家族で中古車ディーラーに向かって見ている中で、偶然在庫があった。

元々CX-30もカーシェアで乗ったことがあって好きだった。
求めた車種、スペック、価格。

ここは一度買ってみるしかないと思い、その場で購入を決断。
そしてついに、昨日納車ということになった。


納車当日。

これから訪れるカーライフに夢と希望を抱いてテンション爆上げ、、、
かと思いきや、終始ローテンション。

これには自分でもびっくり!

いや、さすがにもう少しテンション上がるだろうと思っていたら、何ならどんどん下がっていく。不安になっていく。

思ってたんと違う状態で納車を終え、帰路についた。


まぁ、納車までにディーラー側の不手際で色々あったというのもある。
けど、それ以上に自分のメンタル面の影響が大きかった。

一言でいうと、車を手に入れた喜びより、コストやリスクを心配しすぎていたのだ。

「どこに行こう!どう楽しもう!」よりも、
「お金は大丈夫かな、、、カーシェアのままでもよかったかな、、、本当に使うのかな、、、」を心配する自分がいた。


一応書いておくと、購入金額は年収の3分の1以下だし、ローンで購入したけど普通に全額返済できる金額。
しかも、月々の支払いを加味しても貯金ができる家計状態。

だから、お金面で心配する必要は正直ない。


それでも心配してしまう。
しかも、起こるかどうかも分からない未来に。

自分でも呆れたし、何なら難儀すぎて笑ってしまった。

なんで自分はこう、今を楽しむことができないのかねぇ、、、


その理由を考えてみると、確実に親の影響。

車を購入するにあたって、親と友人にその旨を伝えたところ、リアクションが全く違った。

友人は、「良いね!何買ったの?楽しみだね~!」と未来への希望を話す。

対して親は、「大丈夫?本当に使うの?事故怖いよ」と、リスクや心配事ばかり話してくる。

そりゃ、希望よりも不安や心配の方が脳に刷り込まれるよね。

自分の不安症は、完全に親からなんだなと実感した。


もちろん、親だから心配するのは分かる。

でも、車を買うという選択に対して、不安を煽ることばかり言うのもいかがなものか。

思い返すと、昔からそうだった気がする。
今の楽しみや将来への希望を語るよりも、心配やリスクを強調するタイプだった。

そんな考え方が染みついているもんだから、私自身まず頭で考えるタイプになった。
おかげさまで能力は高いし計画性のある人間になったけど、今を楽しめない。
どれだけ希望に満ちていても、根の部分で不安になってしまう。

そんな人間になった。


合理的に考えれば、車とかいらない。
特にうちは首都圏の駅近物件に住んでいるので、電車とバスで十分。
金銭面ではカーシェアに敵わない。

でも、欲しいと思った。思ってしまった

それは合理性とかいうものではなく、感情の世界。
感情として、一度自分の車を持つという経験をしたいと思ってしまった。

それは、合理的にはNoでも、感情としてYesなんだ。

私の中の親が心配をしてくるのは分かる。
でも、私は私として、この衝動と感情を尊重してあげたいのだ。


私は今回買った車をこう捉えている。

私は車を買ったのではない。
私の人生の可能性を買ったのだ。


これまでの合理性を重視する自分から、感情や直感を大切にする自分を尊重する。
自分の可能性を拓く。
その第一歩な気がする。


さぁ、来週の休みはどこに行こうか。

どこにでも行ける。
きっと何をしても楽しい。

だってこれは、自分で切り開いた可能性なのだから。

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