ふつうとは

 ここ何年か「普通」という言葉の意味が分からない。会話の中で使ってしまうこともあるけれど、後から思い返して「なんであの時使っちゃったんだろう」などと後悔することも多い。脳内一人反省会パーティー。何回開いただろうか。

 疲れている時に寝るのではなく本を読むことは「普通」だし、アーティストのグッズを買う時に即座に食費を削るのは「普通」。

 今挙げた「普通」は多分私の周囲の人たちにとって「普通」ではない。世の中の女の子たちはもっと衣服や化粧品に興味を持っているだろうから私みたいに「夏に着るTシャツ全部グッズ」みたいな現象は起きないだろうし、自分が一番輝ける化粧の仕方知らない、みたいなことは起きない。

 生きていくには社会が示す「普通」を理解してもっと何かしらの努力なりなんなりをするべきなのだろうけれど、「自分と違う」ことを受け入れるのは難しい。

 私が愛してやまない五人組のバンド・東京事変の新曲がついさっきリリースされた。タイトルは「ふつうとは」。「普通」がなんだかもうよくわからないこのご時世にゴン攻めなタイトル。作詞・椎名林檎、作曲・伊澤一葉。

 抹茶のアイスクリームは「甘苦い」、レッサーパンダは「可愛くて普通に好き」、鰹節と昆布でお出汁をとった御御御付は「柔らかく澄んでいて滅茶普通の味」。歌詞には大半の人がそう思うであろう「普通」が歌われる。

理由もなき力よ どんぴしゃり妙に                               全部丁度いいのを愛しているだけだ                                              もう黙り込むくらいに当たり前の強さ                                    こうした自然をつい普通と呼んじゃう咄嗟に

  「大半の人がそう思う」だけであってそうは思わない人も世の中にはいる。そしてそのことを私たちはついつい忘れて生活している。じゃあこうしていこう、みたいな答えはこの曲の中では歌っていない。

何も変わらないで変えないで僕はずっと                               このままで居たいです 普通でしょ

 最後の二行でこう歌うだけである。そこには多分付随する意味なんてない。自分が思う「普通」を変えたくない、そう思うのが普通だ、ただそれだけである。

 私は私の中にある「普通」をこれからも変わらず愛していく、それが私の「ふつう」だから。東京事変の「ふつうとは」はそんなことを改めて考えさせてくれた曲な気がする。


知識をつけたり心を豊かにするために使います。家族に美味しいもの買って帰省するためにも使います。