つみのかじつは夢をみせる【編集版⑳】

 ドライヤーが壊れた。え。今?もう少しタイミングを見計らってくれない?今髪の毛短いから良いけれど。4年前引っ越してくるときに実家から持って来たやつで、多分もう10年くらいは使ってる気がするので寿命だ。お疲れ初代。ということで母に電話したら「今は使ってないけれどまだまだ現役で動く」2代目を持ってきてくれることになった。有り難し。

 本編最後で明日が最終回!とも思ったのだが明日は最後の掃除やら鍵の受け取りやらでどうやらパソコンを開く時間がなさそうなので今日一気に掲載してしまうことにした。少々長いけれどお付き合いくださいませ。

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2021、我らが夏よ~「長く短い祭」~

 夏が来た。が、今年もそんな感じは全くしないのである。理由は明白で、新型コロナウイルスの蔓延、それによる自粛とあらゆるイベントの中止。そのイベントの中には日本各地で夏を彩るお祭りも含まれる。筆者も、一昨年までは「来年はきっと履修する授業も少なくなっているだろうから、公園の屋台とか、神宮の例大祭に行くぞ」なんて思っていたし、それを心底楽しみにしていたのだがお祭りどころか、2020年閏年という特別な一年に在る筈だったイベントがほぼすべてなくなった。元旦に再生を宣言した東京事変のライブは閏日と3月1日だけ行われて(最終的には秋にライブビューイングという形では行われたが)それ以降はすべて中止。椎名林檎や野村萬斎、MIKIKOら4年前のリオデジャネイロオリンピック閉会式を手掛けたプランニングチームが開会式を手掛けるはずだった東京オリンピックは1年延期でしかも当初のプランニングチームは解散。とにかく散々だった。それでも当時「来年は本来の麗しき日本の夏が戻ってくるはずだ」と信じて疑わなかったが、結果はご存知の通り。感染者は日に日に増え、これを書いている8月5日は全国で新型コロナウイルスが陽性だと診断された人の数が15000人に到達してしまった。今年もそうこうしている内に短い夏があっという間に終わってしまう気がする。学生最後の夏休みに入ったというのにほとんど予定もなく、ただ家に居るだけで終わってしまうではないか。元々インドアなタイプであるとはいえ、それでは少々勿体ない気がする。だからヘッドフォンを耳に充てて、貴重品と読みかけの本を1冊持って外に出ることにした。どこか涼しい場所で本を読もうと思ったのだ。部屋は暑い。スマホから流す音楽は東京事変のメンバーでもある浮雲とのデュエット曲「長く短い祭」である。
 夏は女性が一番輝ける季節だと思う。そしてその期間は一年の内で長く感じるが意外と短いものである。特に北海道は冬が長いせいもあって余計に短く感じる。この曲はそれを彩ってくれる。
まず歌詞。夏を想起させる言葉が美しい日本語で並ぶ。〈天上天下繋ぐ花火哉 万代と刹那の出会ひ 忘るまじ我らの夏を〉〈皆銘々取りどりの衣装 奔放な命を被ふ化粧 隠すまじ我らは夏よ〉〈皆銘々選り取り全方位 獰猛な命燃やす匂ひ 臆すまじ我らは夏よ〉〈丁度大輪の枝垂れ柳 蘇るひと世の走馬灯 逃すまじ我らの夏よ〉そして最後に〈一寸女盛りを如何しやう この侭ぢやまだ終れない 花盛り色盛り真盛りまだ…〉そして曲の終わり、アウトロで様々な楽器が鳴り響く中、浮雲が〈さよならはじめまして〉と歌う。それが夏の短さ故の美しさをより一層際立たせる。
 そしてこの曲にはミュージックビデオ(MV)もあり、椎名が描く【女盛り】を演出振付家のMIKIKO率いるダンスカンパニー・ELEVENPLAYのダンサー、SAYAが巧みに表現している。MVではSAYAがある【女盛り】を生きる女の一夜の物語を演じる。彼女は踊る。踊り狂う。まるで一瞬で消えてしまう花火のように。クライマックス、つまり曲の終わり、浴室で男を殺した彼女は警察に捕まる。女の一夜は長く続くかのように思われたが、短くて儚く、そして美しい。
 椎名はこの曲について、アルバム『三毒史』でシンメトリーになる「神様、仏様」と併せて、「これと神様、仏様が最も彼奴等らしく、私らしい納涼サウンド」と語っている。彼女が語る通り、この曲は麗しい日本の夏を描き出す納涼サウンドである。
 昨年も今年も、最も輝けるはずの女性たちが色とりどりの衣裳を身に纏ったり、衣装にあわせて化粧をしたりして出かける機会が失われてしまった。見るだけでもワクワクするのにそれすら叶わない、本来の日本の夏とは大きく異なるものになってしまった。もしかしたらもうしばらくそういう夏はお預けなのかもしれない。しかしきっとそう遠くはない未来、女性が輝ける夏が戻ってくると信じて、今日もヘッドフォンから流れる『長く短い祭』を聴きながらあったはずの夏と、これから戻ってくるであろう夏を思いつつ、「こんな夏もいいかもしれないな。」なんて考えながら、近くのマクドナルドでせめて食べるものは夏を感じようと母に頼まれたお使いの合間に期間限定のハワイアンメニューを注文して読みかけの本を開いた。

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あとがき

 読書が好きで、小説もエッセイもよく読むのだが、自分でその手の文章を書くとなると結構難しい。何よりもタイトルを決められない。聴き逃していたラジオをradikoで聴きながら狭い部屋を歩き回ってみたり、椅子の上に立ってみたり、チョコを食べてみたりラジオのニュース番組を聴きながらネットニュースをチェックしたりしながら1時間かけてタイトルを考えた。普段名前を考えるという行為をしている方々尊敬。
 あとがきも何書いていいかわからなくて、本棚にあったエッセイを片っ端からパラパラ捲ってみたけれどあんな素敵なことも面白いことも書けないので本文を書いてぎりぎり残った感性に縋ろうと思う。
 自分が愛していることや尊敬していることを改めて言葉にするのは終わりの見えない作業だった。普段SNSを通じて「大好き!」「尊い!」みたいなペラッペラの言葉を発しているのだがそれを万人が読めるように言語化しなくてはならないのだ。途中で書けなくなってひたすら映画を観たり本を読んだりして色々な表現に触れたりしながら書いたりした。インプットがいかに重要かを思い知った。それ以外にも楽曲の解釈をしながら、改めて向き合うことの楽しさ以外にも苦しさとか辛さみたいなものも感じた。当然である。真剣に私たちの人生に向き合って音楽を届けてくれているのだから。だからこちらも同等の熱量や真剣さをもって取り組まないと、彼女や彼女の作品に対しても失礼に当たるのではないか、と思って「椎名林檎の楽曲をテーマにする」と決めたときからかなり大きめの覚悟をもって臨んだ。それなりにちゃんと形になったのではないかと思う。少なくとも「オタク特有の早口息継ぎ無し編」(この表現、椎名がファンクラブ・林檎班内の日記で使っていて凄く気に入ったので事ある毎に拝借している。) にはなっていないと思う。
 と、いうことでやっとの思いで完成させたこれを大学生活四年間の集大成としたいと思う。そして私はこの先ずっと、おばあちゃんになっても椎名林檎の愛好家を名乗って生きていきたい。

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はい完結!いや~これ+αで書いた(そっちは余りにも出来が悪くて掲載見送り)の、よく先生許してくれたなあ。先生の専門、日本史(しかも鎌倉時代とかの中世)なのに。初回の「まえがき」の記事を最後にシェアしておくので今回初めて読んだよって方がいらっしゃればそこから読んでいただければ。

 改めて「愛」を表現するのは難しい。私はメロディーを作るというフィルターも、絵を描くというフィルターも持ち合わせていないし、文章だって書くのが上手いというわけではない。だから何かしらの自己のフィルターを通して好きなものや人に対してそれを伝えられる人のことを凄く尊敬している。し、いつかそうやって「愛」を伝えられる人に私はなりたいと強く思う。

 これはちょっとした願望なのだが、この編集版の卒論、椎名林檎に読んでもらいたい。林檎嬢へ、あなたのおかげで大学卒業出来ました。ありがとうございました。



知識をつけたり心を豊かにするために使います。家族に美味しいもの買って帰省するためにも使います。